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穴八幡神社

分類1民俗
分類2信仰
ヨミあなはちまんじんじゃ
解説亀津山手の県道脇から小道を10m程上ったところに洞穴(エンミィ)【注1】があり入り口の左右には自然石の古い石垣積みが残っています。洞穴の規模は奥行15m、天井の高さ10m、広さ30畳敷きほどですが、内部に風化した鍾乳石の石柱が三基立っており、それを依代として祭神が祀られています。また筍状の白石からは水が滴って落ち、昔は乳が出たこともあるという伝承からこれを生乳石と呼びます。
この洞穴がいつのころから信仰の対象となったかはっきりしませんが、石の供えもの台の側面に、「奉寄進 徳之島代官宮内三彌右盛善 享保十七年壬子二月吉日」
とあることから、少なくともそれ以前からであることがわかります【注2】。祭壇には銅製の小型鳥居が七ツと古びた花瓶などが置かれています。
穴八幡は日本全土に広く分布している八幡信仰【注3】のひとつだと考えられますが、その由来などについては分かっていません。徳之島にはこのほか伊仙町検福(けんぷく)にも同様の穴八幡があります。
昭和51年に町指定文化財になりました。
【注1】洞穴(エンミィ)
この洞窟のある小山は昔からの官有地です。
【注2】
島の古記録『面縄院家蔵前録帳(おもなわいんけぞうぜんろくちょう)』に代官宮内三弥と記載されています。享保15年(1730)に赴任し、17年に帰藩。帰りの航海の安全を祈願したのでしょうか。
【注3】八幡信仰
江戸時代三代将軍家光のとき、新宿に穴八幡宮ができ、幕府の祈願所としました。八代将軍吉宗の時代には、享保13年(1728)に疱瘡平癒祈願(ほうそうへいゆきがん)を行ったとの記録があります。

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