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親墓
| 分類1 | 史跡 |
|---|---|
| 分類2 | 中世 |
| ヨミ | おやばか |
| 解説 | 山(さん)集落には、共同墓地が海岸沿いに4カ所に分散していて、それぞれに1つずつの自然石の親墓があります。集落の発祥地である里(さと)集落には、3カ所に殿地(とのち。琉球支配時代【注1】に役人やノロが住む屋敷)があって、4ツの墓地のうち3カ所にこの屋敷名がついています。 ここ「ウシコドラ」の親墓は「ウシコグジガナシ」と呼び、自然石の墓が建っています【注2】。死者がでると、送葬に先立ち親墓の許しを得て入籍する意で「付口(つけぐち)」の神事が行なわれます。これは古くの死霊観念にちなむ習俗によるもので、徳之島古来の葬制の移り変りを物語る貴重な文化財です。 ところで、山には「城按司(ぐすくあじ)ガナシと大当上ガナシ」の物語が残っています。琉球王の命を受けた二人の豪傑が、当時謀反を起こしていた宮古島に渡り見ごと敵の大将を討ち取った話です。この物語の主人公の一人、大当上ガナシは大当墓地の元祖となったとされ、親墓に関係がありそうです。 また、ウキントウ墓地に白旗が立つと、井之川(いのかわ)でも2、3日中に死人が出ると言われます。親墓のひとつ「ウキボジガナシ」は井之川でも祀られており、何らかの関連が窺われます。 【注1】琉球支配時代 「ナハユ(那覇世)」とも言われ、徳之島が昔琉球王国に支配されていた時代のことで、1609年に薩摩藩に支配されるまでの期間を指します。 【注2】ウシコグジガナシ 残る三つの墓地の親墓は、ハータンジシ墓地が「ハータイウイガナシ」、カネィク墓地は「カネィクシャーガナシ」、ウキントゥ墓地が「ウキボジガナシ」です。 |