二子橋を渡る玉電

資料ID3653
テーマ交通とまちづくり,水辺の風景(円筒分水・二ヶ領用水・多摩川)
撮影地域二子
撮影時期昭和初期
年代戦前・戦中
資料解説「坂戸小学校創立20周年記念社会科副読本」収録。玉電(玉川砂利鉄道)は多摩川の砂利掘りを目的に、明治35年に設立された民営鉄道だった。明治40年に玉川電気鉄道と名を改め、渋谷ー玉川間を乗客と砂利を運ぶようになった。二子橋の建設によって昭和2年に渋谷ー溝の口間が開通し、二子橋は半分は人が通り、半分は電車が走っていた。昭和4年に二子玉川から自由が丘、一か月後には自由が丘から大岡山まで開通。昭和18年に大井町線として、二子玉川から溝の口まで開通し、溝の口から大井町まで電車で行けるようになった。昭和39年に長津田まで延長され、田園都市線と改名された。

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