| 解説 | 高松城は,豊臣秀吉の家臣生駒親正が讃岐に入封した天正15年(1587)の翌年から築かれ,瀬戸内海に面し海水を堀に引き込んだ「水城」として知られている。生駒家は4代にわたって高松城主を務めたが,御家騒動を起した後は,寛永19年(1642)に松平頼重が新たに城主となり,明治維新を迎えるまで松平家が歴代城主となった。 現在,高松城跡のあちこちで発掘調査が行われており,本丸南西角にある地久櫓台も発掘することになった。地久櫓は副天主的役割をもった重要なもので,調査成果に期待がもたれた。調査の結果,南北約9m×東西約9~10.5mの櫓台中央において,南北約4.3m×東西約4.8~5.2mの平面がほぼ四角形で深さが1.8mの地下室が見つかった。床面は土間だが,四壁は石垣によって囲まれた重厚な(縦)穴蔵であった。床面に礎石が規則的に配置されており,櫓1階の床板を地下室の天井として利用していたのであろう。階段はなく,梯子を使って昇り降りしたと考えられる。地下室の目的を示すものは出土していないので,何に利用していたのかは不明だが,本丸にあった櫓であることを考えると,武器や食糧が貯えられていたのかもしれない。 |
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