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「高松の4大遺跡」①石清尾山古墳群

大分類展示ガイド
解説日本最大の積石塚を擁する古墳群
時代    古墳時代前期  
所在地   高松市峰山町ほか
指定区分  国指定史跡

石清尾山古墳群とは
石清尾山古墳群は、市街地の後背部にある3つの山塊からなる石清尾山に所在する、四国屈指の古墳群です。積石塚と呼ばれる石を積み上げて築いた墳丘が特徴の古墳群で、3世紀中頃~4世紀代にかけて造られ続け、その数は50基余りです。
5世紀代に入ると一度古墳の築造は停止しますが、6世紀に入ると盛土の墳丘で横穴式石室を備えた古墳が群集して築かれるようになります。令和2年3月末現在、14基の積石塚と2基の盛土墳が国史跡に指定されています。
積石塚に注目すると、古墳時代前期前半には、峰山と稲荷山の範囲に鶴尾神社4号墳等の前方後円墳が築かれる一方で、猫塚古墳、稲荷山北端古墳のように、双方中円墳という石清尾山でしか見られない特異な形の古墳が築かれます。前期後半になると双方中円墳は築かれなくなり、峰山のみに少数の前方後円墳が築かれます。
古墳築造の変遷から、本古墳群が前期前半に盛行し、前期後半に衰退していく様子がうかがえます。

古墳群中最古の古墳
鶴尾神社4号墳・・・
鶴尾神社4号墳は本古墳群の中で最も古い時代に造られた古墳で、全国的に見ても最古級の前方後円墳の1つと考えられています。全長は約40m、後円部の直径は約18mです。清掃調査の際に、埋葬施設から銅鏡(方格規矩四神鏡)の4分の1の破片や墳丘上から壺形埴輪片等が出土しました。

石清尾山古墳群のキーワード
稲荷山北端古墳・・・
近年新たに発見された双方中円墳です。双方中円墳は、全国で本古墳群の3基のみが認められている独自性の高い古墳の形です。なおかつ、本古墳群中でベスト3の規模は双方中円墳が占めています。全長は約69m、両側にとりつく方形部はいずれも低く平らな形状です。積石の段は低く、板状や塊状の石材を同一の段に縁取るよう配置しています。段が低いため、発掘調査で古墳の形を確定するのに苦慮しました。本古墳からは埴輪は出土しておらず、墳丘上には埴輪を配置していなかったと考えられます。
猫塚古墳・・・
猫塚古墳は本古墳群中最大規模の古墳で、全長が約96mです。明治43年に中円部は大規模な盗掘を受け、石材が掻き出されてしまいました。昭和初期に聞き取り調査等が行われ、複数の竪穴式石室が存在したと推定されています。墳丘の石材の多くは崩落していますが、築造当時の積石を見ることができる箇所が1箇所あります。
 盗掘の際に出土したとされる鏡・銅鏃・筒形銅器・銅剣等の多数の遺物は、現在東京国立博物館に収蔵され、一部が展示されています。

高く積み上げた積石墳丘の極み
稲荷山姫塚古墳・・・
前期前半の前方後円墳で、近年の発掘調査で繊細に、そして高く積み上げた積石の段の様子が明らかとなりました。墳丘の全長は約51m、特に前方部は墳丘の下にプラットホームとなる石積みを築き、それも含めて基盤から約6.5mの高さまで石を積み上げていました。後円部で顕著であったのが、最外周には板状の石を平積みで垂直に積み上げ、その内側に塊石による段が隠された状態となっているところです。まさに、墳丘外表を化粧していたと言えます。墳丘からは上部が壺の形をした筒状の埴輪が出土しており、古墳群周辺の他の古墳との共通性が見出せます。

積石塚の最後の姿
石船塚古墳・・・
約1世紀半の間、山塊に積石塚を築造し続けた本古墳群は、石船塚古墳をもって積石塚の築造の終焉を迎えます。
石船塚古墳は全長は約57m、古墳群中で最大の前方後円墳です。円筒埴輪と呼ばれる筒状の埴輪を採用することや、国分寺町鷲ノ山産の刳抜式石棺を安置するなど、本古墳群では見られなかった他地域の要素を複数取り入れており、これまで独自路線を歩んできた古墳群が、新たな道を模索しようとする姿が見られます。石棺は身と蓋からなり、蓋は開けられ、身の横に並べて置かれています。石棺の身には被葬者の頭部を据えるための枕が彫り出されており、西側に頭部を向けて埋葬していたことが分かります。

備考【2021.2022年度企画展示①】

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