西伯利出兵事件功労書状
| 分類番号 | 00003037-000 |
|---|---|
| 分類 | 資料 |
| 時代・和暦 | T11.11.01 |
| 解説 | 日本の西伯利(シベリア)出兵は、1918(大正7)年から1922(大正11)年まで継続。寄贈者音父親は、1919(大正8)年徴兵され翌年浦潮(ウラジオストク)上陸。1921(大正10)年*”尼港事件”に際し、同年4月26日尼市(ニコラエフスク)到着、同年7月14日馬賊(パルチザン)討伐のため山砲編成を以て「プチロフカ」に出動。11月4日初年兵教育係として帰国となり尼市出発11月11日詫間港帰着。(本人軍隊手帳(資料No.3004)及び陸軍族履歴による。) *尼港事件は、1920(大正9)年、シベリアの黒龍江河口二コラエフスクを占領した日本軍が抗日武装ロシア人に包囲され、居留民共に殺害された事件。黒龍江(ヘイロンジン)_アムール川の漁業を中心とする尼市(ニコラエフスク)で、ロシア過激派により、日本人(領事館、守備隊、居留民等)700名超が全滅した。当地の一般ロシア人も殺害され、悲惨を極めたと陸海軍より報告されている。(参照:国会図書館デジタルライブラリー『尼港事件顛末 1920年出版 陸軍省』) |