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戦地から家族宛の手紙・ハガキ、戦後上司からの遺族宛てのハガキ

分類番号00004507-001
分類資料
時代・和暦S20
解説手紙(便箋4枚封筒ナシ)1通、軍事郵便1枚、戦後ハガキ2枚の計4通。
■手紙は封筒がなく便箋4枚のみ残存。宛名が両親、姉、”豊太郎さん”(姉の結婚相手)の3者で、一つの封筒にまとめて送られたらしく、両親宛ての便箋1枚に、姉さんに宛てたものも同封しているので持っていってほしいと文末に書き添えている。
・なお両親宛ての手紙は、併せて寄贈された「愛しきものへ 香川県戦没兵士の手紙 編集並発行者:財団法人香川県遺族連合会 発行日:1971(昭和46)年8月15日」(当館資料番号B-2083)に掲載されている。
・姉宛ての手紙は(当時にしては珍しく二人姉弟で)歳の近い姉を弟が非常に慕っていたことが文面に溢れたものである。便箋2枚にそれぞれ1枚ずつ「姉さん」と書いて連番1,2を振っているのも念入りである。過去の手紙で結婚したことを知ったこと、姉さんの生涯の幸せのために笑って別れる、花嫁姿が瞼に浮かぶ、やさしい姉さん、写真と金を送ってくれたようだが受け取ってない、金は送らなくていいが写真はもう一回送ってほしいなどと書かれている。
・”豊太郎”義兄さん宛便箋1枚について:何か含みがあるような書きぶりで、姉を深く想う気持ちが行間に込められているような内容である。
■軍事郵便1枚(年月日不明):”豊太郎”義兄宛てに横須賀局気付で送付。12月に赤ちゃんが生まれたと聞き、今は桜の蕾の時期だから成長しただろうと祝う言葉。新生児を「第二の国民」と言っている。
■戦後のハガキ2枚:戦死した弟の上司からのもの。消印判読不明。郵送料50銭であることから、1947年4月1日~7月9日間に投函されたはず。内、2通目は消印が6月6日の日付に見える。復員局から届いた戦死公報及遺品について問い合わせがあったらしく、その返事。ハガキに一文字3ミリほどの細かい手書きでびっしりと書かれている。(部下であった弟の)遺骨・遺品を復員局に依頼したが受け取れたか?、ブーゲンビル島ブインで数多くの部下を死なせた自分は帰国して恥ずかしい、(弟の)戦死の詳細、日夜思い出して涙している、知りたいことがあれば何でもきいてほしい、すぐに返事を書く等々の内容。最後に父上によろしく、とあることから宛名は父親名であるが、姉(寄贈者の母)が実際には連絡を取っていたようである。なお、上司からのハガキ一通も(前述の当館収蔵品番号B2083)「愛しきものへ 香川県戦没兵士の手紙(1971年8月15日発行)」に掲載されている。

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