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日記(昭和15年元旦~昭和16年6月5日)
分類番号 | 00004506-003 |
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分類 | 資料 |
時代・和暦 | S15 |
解説 | ■昭和15年自由日記:博文館 1939(昭和14)年10月5日発行 正価:1円10銭 本体布張、カバーボックス入り。 寄贈者の父親は1919(大正8)年11月生まれ。皇紀の年号が使用されており、皇紀2600年1月1日から始まって、最終頁は翌年6月5日。(1940(昭和15)年元旦~1941(昭和16)年6月5日)。 ・1940年元旦、点呼を取り出勤。朝8時15分から奉拝式、(南京から)皇居遥拝、総司令官音頭による万歳三唱、(皇紀)2600年の歌を合唱して式次第終了。(日記に挟んであった軍事郵便ハガキに式次第メモ書きあり)昼食後街へ繰り出すと映画館はどこも”兵隊さん”で満員、「青い鳥」(音楽喫茶?)も満員。「南京ホテル」でビールを飲み事務所に引き返したとある。 ・1940年3月30日に『歴史的な日。国民政府誕生!』花火が盛んにあがり楽隊が町を行進、喜びに満ちた民衆が行列で旗を振り賑やかであると描写。 ・1941年1月12日『戦闘機か偵察機か一台さっきからしきりに頭上を飛びまわって』の後に佐藤春夫の詩集を読む、米を洗って飯を炊くと続く。 ・「支那語学校」にも通い、日記の一部にカタカナで中国語を混ぜて書いていることもある。1941年2月5日『毎日良い天気が続く。外套も手袋もプヨオ(”不用”(中国語で不要の意))』 ・1941年3月12日『今日は孫文記念祭と植樹祭』 ・1941年4月3日『神武天皇祭』 ・20歳前後当時、1939(昭和14)年10月1日付支那派遣軍総司令部附支那派遣軍経理部雇員として南京で暮らしていた頃の日記であるが支那事変以後ながら戦線配置の戦闘兵ではなかったため、食事(スキヤキ、寿司)や余暇(映画、読書、音楽鑑賞)にも比較的恵まれていたようである。 |