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新聞三紙(戦前/朝日、終戦日/毎日、戦後/四国)各1面のみ
分類番号 | 00004498-001 |
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分類 | 資料 |
時代・和暦 | S19.10.23 |
解説 | 戦前→終戦日→戦後の三紙の各一面。 1)朝日新聞:1944(昭和19)年10月23日(月) ■一面「台湾沖戦捷を御嘉尚(かしょう)畏くも(かしこく)有難き勅語を賜う」 「空母、戦艦等七屠る(ほふる)」「英霊、神鎮ります」コラム欄タイトル「神風賦」 ■二面香川版 「大東亜語」”三角爆撃”について、成都(中国大陸)→要塞B29による本土空襲→サイパンへ遁走、飛び出した同じ基地に戻らず他の基地へ帰ろうというのである。「地方式典厳かに始まる」(靖国神社の地方式典)広告欄香川県「満鉄社員募集」 2)毎日新聞:1945(昭和20)年*8月15日(水) ■一面 「聖断拝し大東亜戦争を終結」 「四国宣言を受諾す」(英米支蘇America British China Dutchの四ヶ国)新爆弾の惨害測るべからず」「一億団結・皇国再建へ新発足」「ただ民草を慈しみ給う」ポツダム宣言、カイロ宣言について ■二面 「天皇陛下万歳 屍を積んで護らん桜の祖国」「最大の凶器原子爆弾 乗客の遺骸ズラリ」「ああ、南溟北涯の忠霊 我らただ熱涙捧ぐのみ」「正に火薬2万トンに匹敵」ほか原爆についての記載。 同面には「神鷲空母、巡艦を大破8月14日10時30分大本営発表」「大阪にB29が百機」の記事が並ぶ。 *8月15日付である新聞の内容が8月15日正午発表の終戦宣言の内容であることについて、前夜8月14日深夜、首相官邸で発表があり各新聞社は徹夜で印刷。正午の戦争終結の詔書をラジオ放送後まで配達は差止められていた。 3)四国新聞:1951(昭和26)年4月17日(火) ■一面 「マ元帥日本を去る 偉業に全国民感謝 全都、惜別の嵐に渦巻く」「動乱の平和解決 北鮮、国連に通告か」「栗林公園の浮浪者」 ■二面 「御大切に”マ元帥 羽田空港、感激の別離」「彦左候補現る」(町村長、市議、県議選挙を前に選挙運動の白熱化について)放火魔事件ほか、「高松一高が優勝 香川県下高校野球閉幕」(中西太主将が優勝旗を授与された写真付、中西の三遊間安打含む三回後攻で一挙に4得点による勝利の記事。広告「*高松競馬」(*現郷東町警察学校の辺りに、戦後、塩田→競馬場があった) |