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遺言状及び戦死報告(封筒入り)
分類番号 | 00004496-001 |
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分類 | 資料 |
時代・和暦 | S17.03.07 |
解説 | 寄贈者の叔父(父親の弟)は1919(大正8)年2月生まれ、1942(昭和17)年3月7日戦死。享年23歳。 遺書、旭日章等の寄贈品あり。 資料番号4496-*** 寄贈者の父方の叔父の戦死について、父親(寄贈者の祖父)宛てに届けられた文書。 叔父自筆の遺書と上長からの戦死報告である。叔父は遺書を書いてから約5か月足らずで戦死。 ・同封物は次の通り。 なお、封筒の宛名に書かれた父親の名前は誤ったものである。正しくは「太郎」のところ「次郎」になっている。 1.)叔父が予め用意させられていた定型の封筒。(表に「遺言状 (開封は法の定むるところによるものとす)」、裏側には「遺言状・遺髪・遺爪(いそう)・写真」と印刷されたものであることから当然に準備が指示され配布されたと思われる) そこに、手書きで枠線を引き「送先:香川県木田郡前田村役場(自宅ではない)」「役種官等:現役陸軍伍長」氏名を記入。 2.)一枚の用紙、両面に、箇条書き。(原文を適宜漢字かなづかい、年号等表記あらため以下の通り) 『遺言状一 両親様へ―御国の為喜んで元気に出発致します。顧みれば二十有余年孝養の一端を尽くさず苦労ばかり相かけ甚だ(はなはだ)遺憾です。何卒兄上を呼帰し余命を御幸福にお過ごし下さい。何処の果てに屍をさらすとも、海行かば水つく屍、山行かば草むす屍、軍人として本望です。ご両親様くれぐれも御身体を大切に。 兄上様一真人間となりぜひとも帰郷老い先短き父母の孝養につとめられんことを小生ただ一つ心残りなり。 弟妹へ一弟妹仲良く、繁雄も決してぐちをこぼさず一心に家事に精励せよ。二兄揃って留守にし随分苦労をかけ相すまぬ。何卒今後、兄の分まで孝行するようお願いす。 ―右遺言す。 1941(昭和16)年10月15日 西部第32部隊*新田隊 陸軍伍長 某 押印(苗字の認印のような印象) 右 遺言状を拾認す **1942(昭和17)年9月30日 高松区裁判所判事 小久保義憲 押印 **戦死およそ半年後の日付で合法的に開封された由。 3.)陸軍箋(和紙)に青のインク手書き。漢字とカタカナの文章。(一部を除く) 戦死者 楯8415部隊 陸軍曹長 某君 遺族 香川県木田郡前田村西前田 某殿(ここでも宛名同様、戦死者の父親の名前を誤記) 右の者に対する戦死当時の情況左記の通りお知らせ申し上げ候(そうろう) 歩兵砲中隊長 陸軍大尉 新田義雄(*戦死者の所属隊名由来) 左記 1942(昭和17)年3月7日早朝ペグ-攻略戦ノ火蓋ヲ切ラレマシタ~中略~名誉ノ戦死ヲ遂ゲラレマシタ~中略~「山行かば草生す屍 海行かば水漬く屍(遺書にも同内容が書かれてある万葉集の歌が引用されている) 4.)ペグ―、ラングンの地名と戦闘の様子を図示したもの(現ミャンマー) 左記の新田隊長による(叔父が)戦死した状況も詳細に描写されており、この図が添付されていた。 |