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写真(フィリピンで軍需企業に従事)

分類番号00004499-005
分類資料
時代・和暦S17
解説寄贈者の伯父(母親の兄)1917(大正6)年生まれ。香川県庁職員を勤めた後、1942年大阪の”クレハ”(呉羽紡績株式会社)の会社員としてフィリピンへ。1945年2月20日戦死、享年28歳。軍需産業の徴用として扱われたため戦死となった。
・「着任して3日目」と裏に書かれた写真は、ソテツの前でネクタイを締めたスーツ姿の眼鏡の男性が立っているもので、伯父は眼鏡をかけ穏やかな表情である。「紀元2602年、西暦1942年、比律濱(フィリピン)マニラ市マニラホテル前にて写す 康男25才」と手書き。
・「October 10,1942 於Bustos Bulacan ブストス社宅にて」
ほか、「昭和17年12月7日比島ブラカン州ブストス村 綿作地に於ける小生」、「12月7日の写真だ。比島ブラカン州プラリデル村綿作地に於いてだ。団長と俺だ。」や写真館で撮影したと思われる「ブラカン州ブストス村呉羽紡績ブストス出張所の某(伯父の氏名)25才」
・車のフロントバンパーに足をかけた写真には「1943年、昭和18年3月1日、運転もやるよ。運ちゃんになれるよ 26才」とおどけている。写真の年月日はこれが最後。
写真の裏にはすべて何らかの説明書きがあり、手紙に添えて日本にいる家族宛てにまめに送っていたのだろう。

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