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愛国婦人会特別会員章

分類番号00004483-003
分類資料
時代・和暦S12
解説「愛国婦人会特別会員」が裏に刻まれた記章。安全ピンで留めるようになっており、ピンの裏側に「半襟一掛」の4文字表記。縦6.5cm,横5.8cm,高さ2cm木箱に入っており、木箱の蓋に「特別会員章」と金文字で表記あり。朱色の房付き。寄贈者(1923(大正12)年生まれ)の母親が持っていたものらしい。
■同時寄贈資料番号4483-001・002

・愛国婦人会は、出征将兵の見送りを第一とし、帰還将兵の出迎え、傷病兵慰問・戦病死者葬儀出席、軍人遺族及び障害が残った兵の救護などを主な活動とした。
・1931年3月満州事変後の1932年1月上海事変以降、満州の戦野へと慰問袋を送る運動の中心となった。明治維新以降、富国強兵の政策の中心の一つ国民皆兵の方針を徴兵令によって実現。日本は戦争への道を当たり前に進んだ。
・愛国婦人会は日露戦争勃発3年前の1901年創立、出征兵士及留守家族・遺族の慰問や援助を行った。盧溝橋事件を発端とする日中戦争激化の1937年末には330万人を超える会員数の全国的組織であった。
・1930年代日中戦争当時全国的婦人団体組織が3つ存在。愛国婦人会(内務省のちに厚生省監督指導)のほかに、大日本国防婦人会(陸海軍省)と大日本連合婦人会(文部省)。三者ともほぼ同内容の運動を続けながら互いに摩擦を生じていたが、1942年「大日本婦人会」として三団体が統合結成となったことから愛国婦人会は同年解散。この大日本婦人会は、内務・陸軍・海軍・文部・拓務・厚生の六省の共同所管で監督指導を受け、地方長官が監督を行った。20歳以上の婦人は強制加入させられた。

■参考:高松百年史上巻(1988(昭和63)年3月31日高松市発行)、「戦前・戦中」用語ものしり物語(ISBN4769805756,北村恒信著、1991年光人社発行)

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