市河米庵

人物名(ヨミ)イチカワ ベイアン
人物名(英語)ICHIKAWA Beian
国籍日本
生年月日(西暦)1779
生年月日(和暦)安永08年
没年月日(西暦)1858
没年月日(和暦)安政05年

略歴・解説

書家、漢詩人。名は三亥、号は米庵のほかに楽斎・百筆斎など。書家の市河寛斎の長男。父 寛斎や林述斎・柴野栗山に師事し、書は長崎に遊学し清国の胡兆新に学ぶ。米庵という号は米芾に因んでいる。寛政11年(1799年)、20歳の時に書塾 小山林堂を開いた。その後、和泉橋藤堂候西門前に大きな屋敷を構え、門人は延べ5千人に達したという。尾張徳川、津藤堂、徳山毛利、鯖江江間部などの大名にも指南を行った。江戸で門戸を張った巻菱湖(1777~1843)、京都の貫名海屋(1778~1863)とともに幕末の三筆に数えられる。文化8年(1811年)に富山藩に仕えたが、文政4年(1821年)に家禄300石をもって加賀藩前田家に仕え、江戸と金沢を往復し指導に当たった。米庵60歳の肖像画を、渡辺崋山が描いている。享年80。西日暮里本行寺に墓がある。

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