大橋 翠石

人物名(ヨミ)オオハシ スイセキ
人物名(英語)OHASHI Suiseki
国籍日本
出身地岐阜県大垣
生年月日(西暦)1865
生年月日(和暦)元治02年
没年月日(西暦)1945
没年月日(和暦)昭和20年

略歴・解説

翠石は、その独特の虎の絵により「虎の翠石」として知られ、その晩年には中央の画壇と何ら関係を持たなかったにも関わらず高い画名を誇った画家。岐阜、大垣に生まれ、幼児から絵を好み、地元の南画家、戸田葆堂について絵の手ほどきを受け、18歳の時に京都に出て一時期椿椿山に師事した天野方壷(1824~1895)に師事し、のち崋山の二男であった渡辺小華(1835~1887)に東京で師事して山水花鳥の基礎を身につける。1895年、第4回内国勧業博覧会に「虎図」を出品し、初出品ながら褒状・銀牌を獲得したのを皮切りに、各種展覧会で受賞を重ねている。明治33年(1900)にはパリ万国博覧会に「猛虎図」を出品し、数多の画家を抑えて日本人画家としてただ1人優賞金牌を受賞。続けてセントルイス万国博覧会(1904)で優賞金牌、日英博覧会(1910)でも金牌を受けるなど、内外の博覧会で受賞を重ねた。 昭和5年(1930)の『日本画家評価見立便覧』(日本絵画研究会)では「特別動物大家」として横山大観・竹内栖鳳に並ぶ評価を受けている。

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