斎藤香玉

人物名(ヨミ)サイトウ コウギョク
人物名(英語)SAITO Kogyoku
国籍日本
出身地上野国緑野村
生年月日(西暦)1814
生年月日(和暦)文化11年
没年月日(西暦)1870/3/29
没年月日(和暦)明治03年03月29日

略歴・解説

上野国緑野村(現群馬県藤岡市)に代官斎藤市之進(一之進も使用)の3番目の子として生まれる。長兄伝兵衛、次兄伝三郎と三兄弟。名は世濃、号を香玉、別号に聴鶯がある。父は後江戸に移り、旗本浅倉播磨守の用人となった。香玉は10歳で父と知己であった崋山につき、崋山十哲の一人に数えられる。蛮社の獄では、父娘とも師の救済運動に奔走したことが椿椿山の『麹町一件日録』に記される。幼少の頃から手本として摸写してきた崋山の画法を忠実に継承した女性弟子である。崋山から田原幽居中に斎藤家に宛てた手紙もあり、斎藤家と崋山との交遊も知られる。旗本松下次郎太郎に嫁ぎ、二人の子をもうけた。崋山没後は、谷文晁(1763~1840)の弟子で、彦根藩井伊家に仕え、法眼となった佐竹永海(1803~74)に入門した。結婚後の作品は今に残るものが少ない。明治3年3月29日、57歳で病没。墓所は東京都台東区入谷の威応寺にある。

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