江川 坦庵

人物名(ヨミ)エガワ タンアン
人物名(英語)EGAWA Tanan
国籍日本
生年月日(西暦)1801/5/13
生年月日(和暦)享和01年05月13日
没年月日(西暦)1855/3/4
没年月日(和暦)安政02年03月04日

略歴・解説

江川英毅(1770~1834)の子として生まれ、天保6年(1835)、父の死後、伊豆韮山代官職と36代太郎左衛門を継ぐ。字は九淵、号を坦庵と称す。所領は武蔵・相模・伊豆・駿河、のちに甲斐の幕領も加わった。優秀な人材を登用し、民政を施し、「世直し大明神」と呼ばれた。種痘奨励、パンの製造でも知られる。
渡辺崋山と交遊し、海防のため高島秋帆(1798~1866)に砲術を学び、佐久間象山(1811~1864)、木戸孝允(1833~1877)らに教授した。嘉永6年(1853)のペリー来航の時、勘定吟味役格となり、品川沖に砲台の台場を築造、また、韮山に砲身鋳造のための反射炉(国指定史跡)建造に着手したが、完成(1857)を見ずに没した。

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