小田 莆川

人物名(ヨミ)オダ ホセン
人物名(英語)ODA Hosen
生年月日(西暦)1805
生年月日(和暦)文化02年
没年月日(西暦)1846
没年月日(和暦)弘化03年

略歴・解説

旗本戸川氏の家臣で江戸牛込若宮新坂に住み、名は重暉、字は士顕、拙修亭とも号し、通称を清右衛門と称した。画を崋山に学び、椿山と同様に山水花鳥を得意としたが、現存作品が少ない。崋山が蛮社の獄で捕われると、椿椿山(1801~54)と共に救済運動に奔走した。書簡等の記録から山本琹谷(1811~73)とともに、椿山が信頼を置いた友人のひとりであることがわかる。弘化3年7月5日、旅先の武蔵国熊谷宿で病没した。近年、莆川に関わる資料情報が二件あった。田原市博物館に手控画冊十冊が小川義仁氏からまとめて寄贈された(田原町博物館年報第八号に一部紹介)。また、愛知県内半田乙川地区にある山車に莆川原画と思われる水引幕があることがわかった。これからの研究を待ちたい作家のひとりである。

この作者の資料一覧[全2件]

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