貫名海屋

人物名(ヨミ)ヌキナ カイオク
人物名(英語)NUKINA Kaioku
生年月日(西暦)1778
生年月日(和暦)安永07年
没年月日(西暦)1863
没年月日(和暦)文久03年

略歴・解説

名は苞(しげる)。字は君茂・子善。号は海屋・海客、晩年に菘翁(すうおう)と称した。阿波藩の旧家で、小笠原流礼状指南役を勤めた吉井直吉の次男として生まれ、のち先祖の旧姓貫名に改姓した。17歳の頃より高野山に学び、さらに大阪の懐徳堂に入門。文化8年(1811)頃、京にて儒者として身をたてる。晋・唐の書を研究し、市河米庵・巻菱湖と並び幕末の三筆に数えられ書家として名が高い。頼山陽、田能村竹田、中林竹洞らと交流した。画は、はじめ狩野派に学び、その作品は保守的と評されてきたが、梅逸に比する技巧派としてみるべきものがあり、天保年間を中心に優品が多い。各地の風景の写生に励んだという逸話や、海屋が描いた「京師より伏見に抵」路上の真景に対する竹田の高い評価(『師友画録』)も注目される。

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