独湛性瑩

人物名(ヨミ)ドクタン ショウエイ
人物名(英語)DOKUTAN Shoei
国籍
出身地福建省興化府莆田県
生年月日(西暦)1628
生年月日(和暦)寛永05年
没年月日(西暦)1706
没年月日(和暦)宝永03年

略歴・解説

中国の明から渡来した黄檗宗の僧。福建省出身。母の没後、16歳で、梧山・積雲寺の衣珠のもとで出家した。1649年、隠元の弟子であった承天寺の亘信行弥に入門した。その後2年ほどして、諸方を行脚し黄檗山に至り、隠元に参じた。1654年、隠元に従って来日し、その後、長崎興福寺から摂津国普門寺、山城国萬福寺と、師の隠元に随従した。寛文4年(1664)浜松に至り、新寺(宝林寺、初山)の造営に当たった。翌年、隠元を開山として招き、独湛が初代住持となり、以後十八年間にわたり、その任に当たった。天和元年(1681)黄檗山の第四代住持となる。元禄10年(1679)には、遠州の初山で一万人以上の信徒を集めて授戒会を催した。宝永3年(1706)1月26日、黄檗の獅子林院で没した。享年79歳。

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