岡田米山人

人物名(ヨミ)オカダベイサンジン
人物名(英語)OKADA Beisanjin
国籍日本
生年月日(西暦)1744
生年月日(和暦)延享元年
没年月日(西暦)1820
没年月日(和暦)文政03年

略歴・解説

江戸時代後期の大坂を代表する文人画家。名を国、字は士源、画号を米山人、米翁と称した。寒山寺裏長池(現大阪市北区曽根崎)で米屋を営んでいた。米臼をひきながら読書し、余技に書画をしたと言われ、中国文人画を中心に独学で画業を修得した。39歳の時、子 半江が生まれる。天明2年(1782)頃、伊勢国藤堂藩に仕え、藩の蔵屋敷内(現大阪市北区天満宮)に移った。家業の米屋も息子半江に引き継がせていた。蔵屋敷の居宅の一部を画室として「正帆」と命名し、ここで多くの文人墨客と交わった。65歳前後で職を辞し、70歳頃から飲酒と煎茶に親しんだ。75歳の時、妻を亡くし、それ以後、死を迎えるまで2年間に書画の創作活動はもっとも旺盛となった。

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