いろは48組 い組の纏(1/2)複製

題名ヨミイロハ48クミ イグミノマトイ、
時代江戸後期
解説い組の纏 1/2複製 纏は戦国時代殿様の馬印で、大名火消、定火消が火災現場に持って行ったのが始まりと言われてます。町火消は本来町人が持てるものではなかったのですが、江戸町奉行大岡越前守が町火消の士気高揚のために、幕府公認の火消として纏の使用を認めました。
高さ2m重さ20キロあり、組のシンボルであり組一番の力持ちでイケメンが持ったといわれています。
諸説ありますが、先端の陀志の部分は「芥子の実に枡」けします/の洒落で、大岡越前守が命名したとの説があります。各組現在展示されている48枚馬簾付きの形になったのは、1831(天保2)年で、それまでは纏のぼり(旗)、吹き流し、小纏が使われていました。
受け持ち地区は日本橋室町、本町、安針町、本石町、小田原町、青物町、呉服町他 人足496人

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