江戸の花子供遊び 一番組 は組

題名ヨミエドノハナ オサナアソビ イチバングミ ハグミ
作者歌川 芳虎
時代江戸後期
解説歌川芳虎が1858(安政5)年から1860(萬延元)年に描いた錦絵で、江戸町火消いろは48組、本所深川16組都合64組の各組の纏持ちと纏が描かれた大揃物となっています。子供遊び(おさなあそび)としているのは、江戸幕府が火事場の絵は御禁制としていたため、子供遊びとして発行されました。幕末は、錦絵の取り締まりどころではなく、月番名主の裁量で町火消の心意気を汲んで大人の纏持姿での出版が許されました。
一番組「は組」が描かれています。
受け持ち区域は、現在の久松警察署を起点として、北は千代田区との境界線、昭和通りまで、昭和通りを南進して日本橋川まで、南は、蛎殻町周辺で、人足数は592人でした。

PageTop