大石三平墓

大石三平墓

西暦年(世紀)・月・日1749年11月
元号年(時代)・月・日寛延2年11月
登録・指定登録文化財
種別登録有形文化財(歴史資料)
ふりがなおおいしさんぺいはか
員数1基
寸法高 86.5cm
幅 32.5cm
奥 27.5cm
所蔵者宗教法人 福厳寺
資料所在地東駒形3-21-3 福厳寺
解説 福厳寺は、戦国時代に開かれた曹洞宗寺院です。
 元禄赤穂事件で赤穂浪士を支援したとされる大石三平(良穀(よしたか)、1675 ~1749)の墓で、墓石には三平夫妻の戒名と三平の忌日が刻まれています。
 三平は、公家の近衛基熈(1648~1722)に仕えた後、両親とともに関東に移り、本所柳島の地に新居を定めたといわれます。
 三平自身は浅野長矩(内匠頭)の家臣ではなく、吉良邸襲撃には加わりませんでした。しかし実父五左衛門(良総)、兄郷右衛門(良麿)らと集会場所の手配や、吉良義央(上野介)の在宅日を調べるなどの協力をしたと言われています。福厳寺は、そうした集会場所の一つであったと伝わります。
 元禄赤穂事件後は高松藩(現香川県)に召抱えられ、後に江戸家老にまで昇進しました。

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