土佐光起

作者名よみとさみつおき
作者名欧文TOSA Mitsuoki
生没年1617 - 1691(元和3 - 元禄4)

略歴・解説

江戸時代前期に活動した土佐派の画家。
堺に生れ、18歳のとき父の光則とともに京都に移住。承応3年(1654)宮廷絵所預の職を獲得し、内裏造営に参加。延宝9年(1681)、剃髪して常昭(じょうしょう)と号し法橋に叙せられた。
土佐家は、中世以来、大和絵の伝統を継承していた名門だが、戦国時代の動乱によって、永禄12年(1569)、土佐光元(光起の3代前)が戦死、活躍の場である宮廷の「絵所預」の職を失って堺に逃れ、滅亡の危機にひんしていた。同職に復職し土佐家を再興した点は、土佐派にとって重要な意味を持つ。土佐派は、江戸時代を通じ、光起以降も京都で活動を続けた。

2005年『若冲と京の画家たち 収蔵品図録』、p.103をもとに加筆修正。

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