村松以弘

作者名よみむらまついこう
作者名欧文MURAMATSU Iko
生没年1772 - 1839(安永元 - 天保10)

略歴・解説

江戸時代後期の南画家。
掛川の十九首に生まれる。名は維孝、字は以弘。号は笠斎・小笠山房主人など。通称は奥五郎。絵ははじめ月僊に学び、次いで江戸に出て谷文晁に学んだ。その後は掛川藩の御抱絵師を務め、第3代太田資順、第5代太田資始らに仕えた。掛川藩校教授の儒学者・松崎慊堂の題・序文や同じく掛川の国学者・石川依平の賛を持つ作品があることから、彼らとも親交を結んでいたことがわかる。
東西の画壇の画風を遠州にもたらし、磐田出身の福田半香や川崎出身の平井顕斎らに絵を教えるなど、その後の遠州南画発展の基礎を築き、静岡県の文化史において重要な役割を果たした画家のひとりに数えられる。
手掛けた画題は山水、花鳥、人物など多岐に及ぶ。代表作は大画面に白糸の滝を描いた《白糸瀑図》(掛川市二の丸美術館蔵)。掛川特産でもある葛布に描かれた作品でも知られ、《董法山水図》(掛川市二の丸美術館蔵)、《唐美人図》(掛川市二の丸美術館蔵)、《菊花小禽図》(個人蔵)、《山水図》(当館蔵)などがある。実景図もいくつか制作し、沼津から稲取まで伊豆半島沿岸各地の眺望を描いた全33図を収める画巻《伊豆沿海真景》(ニューヨーク・パブリック・ライブラリー蔵)や、生地に程近い宇洞山山頂からの四方の眺望を描いた画帖《宇洞山眺望図》(太田資始題、個人蔵)などが知られている。

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