吉嗣拝山

作者名よみよしつぐはいざん
作者名欧文YOSHITSUGU Haizan
生没年1846 - 1915(弘化3 - 大正4)

略歴・解説

幕末から大正時代の南画家。
名は達。字は士辞。別号に独掌庵。本名達太郎。
南画家・吉嗣楳僊の子として生まれる。広瀬青邨に漢学を習い、京都に上り、中西耕石に南画を学ぶ。
維新後、倉敷県令となるが、その後上京。
明治4(1871)年、台風の災害で右手を失い、左手拝山と称された。
明治10(1877)年頃、清に渡り、文人画(南画)の研鑽を積んだ。
山水・花鳥画を得意とし、とくに芦雁図にすぐれた。代表作に《富岳の図》がある。

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