賀茂真淵

作者名よみかものまぶち
作者名欧文KAMO-no Mabuchi
生没年1697 - 1769(元禄10 - 明和6)

略歴・解説

遠江国浜松庄(浜松市)に生まれる。俗姓岡部氏。通称は三四・与一・衛士。号は県居・県主など。
京都上賀茂社の神官賀茂氏の流れを汲む。早くから森暉昌らより和学を学び、漢学を渡辺蒙庵から学ぶ。30歳を過ぎる頃から折々上京して荷田春満に師事する。享保18年(1733)には京都に遊学、元文元年(1736)に帰郷する。翌2年には江戸に出て、国学研究に励む。延享3年(1746)から田安家に出仕、次第に宗武の信任を得るようになるが、宝暦10年(1760)に家督を養子に譲って隠居する。同13(1763)年、大和めぐりの帰途、松阪で宣長の来訪を受け、宣長はやがて門人となって、その古道主義思想を受け継ぐ。
著作には『万葉考』『歌意考』『祝詞考』『冠辞考』『語意考』『国意考』『古今集打聴』など。

1988年『藤江家旧蔵 小杉文庫名品抄』、p. 27

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