岡田為恭

作者名よみおかだためちか
作者名欧文OKADA Tamechika
生没年1823 - 1864(文政6 - 元治1)

略歴・解説

19世紀半ばに活躍した復古大和絵派の画家。
京狩野派の画家である狩野永泰の子として京都に生まれる。幼名は晋三、諱は永恭(えいきょう)。父の没後間もなく、自ら冷泉姓を名乗ったが、王朝文化に傾倒し、嘉永3(1850)年、公家である岡田家の養子となり、岡田姓を名乗る。当時《伴大納言絵巻》(出光美術館)の所蔵者であった酒井忠義(ただあき)との交遊から佐幕派の嫌疑をかけられ、尊皇攘夷派から命を狙われる。
文久2(1862)年、官位を辞し、親交を結んでいた僧・願海を頼り、紀州・粉河寺に逃れる。その後転々と逃亡するが、ついに元治元(1864)年、大和(奈良県天理市)で長州藩浪士に斬殺された。
若年より才能を発揮し、膨大な古典絵巻を模写し、大和絵の技法を習熟させ、王朝趣味の強い物語絵などを得意とした。

2018年『幕末狩野派展』、p. 147

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