奥原晴湖

作者名よみおくはらせいこ
作者名欧文OKUHARA Seiko
生没年1837 - 1913(天保8 - 大正2)

略歴・解説

幕末明治期の南画家。
下総国古河町に古河藩大番頭・池田繁右衛門政明の女として生まれる。幼名節、通称せい子。
嘉永6(1853)年、谷文晁門人の牧田水石について画を学び石芳と号した。その後渡辺崋山に私淑、書を小山霞外、小山悟岡に学ぶ。慶応1(1865)年、母方の親戚、関宿藩藩士・奥原源左衛門の名義上の養女となり、本格的に絵を学ぶため江戸へ出、上野摩利支天横丁に住む。通称のせい子と、中国人画家・費晴湖に因んで晴湖と号し、画房を墨吐煙雲楼と称した。明治期、名声はあがり、明治7(1874)年、儒者・鷲津毅堂、画家・川上冬崖らと下谷文人グループの半閑社を結成した。明治24(1891)年、熊谷に隠棲した。

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