永村茜山

作者名よみながむらせんざん
作者名欧文NAGAMURA Senzan
生没年1820 - 1862(文政3 - 文久2)

略歴・解説

19世紀半ばに活躍した南画家。
幕府右筆、長谷川善次郎の子として江戸に生まれる。本姓は長谷川。名は寛。幼名は寿三郎。通称は晋吉。字は済猛。はじめ寿山、のち茜山と号す。
11歳頃より渡辺崋山の画塾に通い、画を学ぶ。天保9(1838)年、崋山の推挙により、幕府の代官・羽倉簡堂に随行して伊豆七島を巡り、現地で実見した風物を作品として残す。
天保10(1839)年、蛮社の獄で崋山が捕えられた際、探究を逃れるため、諸国を遊歴。
弘化年間、金谷に至り、遠江の組頭・永村金左衛門の養子となり、金谷宿の組頭職を継ぎ、組頭の仕事に没頭。絵画制作は減少する。40歳頃、再び画事に注力するが、ほどなくして没した。
早熟で、実景図や人物画に優品を残している。

2019年『対立と融和―十九世紀の江戸画壇』リーフレット、p. 37

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