伊藤若冲

作者名よみいとうじゃくちゅう
作者名欧文ITO Jakuchu
生没年1716 - 1800(正徳6 - 寛政12)

略歴・解説

江戸時代中期に活躍した画家。
京都錦小路の青物問屋「枡屋」の長男として生まれる。父の没後、23歳で家業を継ぎ、40歳で次弟に譲るまで主人を務めた。絵画学習は、はじめ狩野派を修めた師につき、模写を通して中国絵画を学んだのち実物写生に至ったという。濃彩の緻密な花鳥画を得意とし、1758(宝暦8)年頃から約10年をかけて完成させた《動植綵絵》30幅(宮内庁三の丸尚蔵館)はつとに名高い。並行して水墨画もよくし、初期の代表作として鹿苑寺大書院の障壁画がある。墨のにじみを生かした筋目描きと呼ばれる技法を多用するなど、水墨においても独自のスタイルを生み出した。信心深い仏教徒であり、相国寺の僧で詩人の大典との交友が知られ、のちには黄檗僧伯珣に参禅して僧号と僧衣を授けられている。1788(天明8)年の天明の大火で焼け出されたのち、しばらく大阪に滞在、この地で後期の着色画を代表する《仙人掌群鶏図》(西福寺)などを残す。晩年は深草の石峯寺の門前に隠居し、水墨画を中心に作画活動を続けた。

2021年『STORIES ストーリーズ 作品について学芸員(わたしたち)が知っていること』、p. 182

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