右隻

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富士三保松原図屏風

作品名よみふじみほまつばらずびょうぶ
作品名(欧文)View of Mt.Fuji and Miho-no-matsubara
作者狩野山雪
種別日本画
受入番号348
枝番号0
分類番号J-072
員数6曲1双
形状屏風装
寸法(cm)各153.5×360.0
材質紙本墨画金泥引
材質英文Ink with gold paint on paper, a pair of six-fold screens
制作年(西暦)17世紀前半
制作年(和暦)江戸時代前期
記銘、年紀(左隻左下)「山雪始図之」 朱文方印『山雪』 (右隻右下)「山雪」 朱文方印『山雪』
受入年度(西暦)1981
受入年度(和暦)S56
受入方法購入
キーワード狩野派、風景、富士山
解説狩野山雪(一五九〇~一六五二)による富士三保松原図の屏風は、本作と出品番号17の二件が知られる。
駿河湾越しに大きく富士山を望み、右手に三保松原、左端に清見寺を配する。右隻、富士の稜線沿いに見えるのは愛鷹(あしたか)の連山。構成から見て本作の原点が永青文庫本(出品番号12)にあることは疑いなかろう。山雪が草稿を書き、嗣手永納が編集刊行した『本朝画史』の雪舟伝には、雪舟が入明して描いた富士三保清見寺の図に詹仲和(せんちゅうか)が賛をしたことが記され、永青文庫本と同一の賛文が収蔵される。山雪は実際に永青文庫本を目にしていたと考えられ、その図様を継承し、屏風の大画面へと展開させたのがこれらの作品である。
屏風の大画面に変容するにあたり、富士山及び三保松原は横に引き伸ばされ、水平方向への広がりが強く感じられる構成となった。富士山の右側の稜線はなだらかに弧を描きながら、その裾を長く長く、右隻に到るまで伸ばし、山容は極端に左右非対称の形となる。三保松原は濃淡交えた松樹で立体感を持たせながらも、細く長い砂嘴(さし)の特徴的な形態を強調して表される。清見寺と周辺の山々は左下隅にまとめられ、その分、富士山の手前のスペースは広く空き、ゆったりとした稜線が形作る優美な富士の全景が印象深く望まれることになる。秀麗かつ巨大なその姿をごくわずかな筆で表現するところは、一見瀟洒でありながら大胆な造形といえよう。永青文庫本が、前景から中景、後景へと奥行きを強調した画面構成を取り、深く巨大な空間を構築するのに比べ、水平方向への広がりが強く意識された空間の作り方は対照的である。その中で画面は決して散漫に流れず、富士の稜線と近景が作る弧線の相似的な対応、といった幾何学的な構図は、山下善也氏の指摘するように整然とした意匠美を生み出して山雪特有の味わいを醸し出す。永青文庫本で富士にかかる霞は、本作では金泥となり、柔らかな輝きとその水平の連続が、優美な印象を増すのに大いに役立っている。
左下の清見寺の描写も本作の要である。富士と三保松原の組合せに欠かせない清見寺は、永青文庫本においては堂宇の屋根の連なりと特徴的な五重塔によって表された。対して本作では、境内はやや俯瞰的に捉えられ、案内図にでもなりそうなほどに伽藍が整然と配され、清見寺を象徴する臥龍梅や鐘楼の位置関係も明
瞭である。門前には整備された街道が通って人々が行き交い、山雪と同時代の当地の具体的な景観を示す。
狩野山雪は、京狩野の祖・山楽の養子となりその跡を継いだ第二代。特異な形態感覚や幾何学的な造形感覚に基づく個性的な様式を確立した。本作では、そうした特性を伝統的名所絵の中に取り込み、独白の魅力あふれる作品として結実させている。本作と出品番号17・個人蔵本の間に、法橋叙任の御礼として禁中に納めた同図様の屏風がめったことが学認されており、山雪によるこの主題への関心の高さがうかがわれる。

山下善也「狩野山雪筆『富士三保松原図屏風』―図様の源流と革新性についてー」『静岡県立美術館紀要』第二号 一九八四年

2015年「富士山ー信仰と芸術ー」、p. 188

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