右隻

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井出玉川・大堰川図屏風

作品名よみいでのたまがわ・おおいがわずびょうぶ
作品名(欧文)Ide-no Tamagawa, Oigawa
作者狩野探信守道
種別日本画
受入番号1361
枝番号0
分類番号J-325
員数六曲一双
形状屏風装
寸法(cm)各166.0×358.8
材質紙本金地着色
材質英文Color on paper, a pair of six-fold screens
制作年(西暦)1825 - 1835
制作年(和暦)文政8 - 天保6
記銘、年紀(右隻右下・左隻左下)「宮内卿法眼探信斎守道筆」 朱文方印『藤原守道』
受入年度(西暦)2008
受入年度(和暦)H20
受入方法購入
キーワード狩野派、風景、名所
解説古来、和歌に詠まれ、歌絵として人気のあった京都の名所を左右隻に描いた作品で、右隻には、京都南部の山吹の名所・井手玉川、左隻には、嵐山周辺の大堰川の景観が描かれている。本作は、狩野探幽《井手玉川・大堰川図屏風》(宮内庁三の丸尚蔵館)と同図様であり、探幽作品を基に描かれていることが知られている。
画面全体に金銀泥の砂子が濃密に刷かれており、群青によるすやり霞が華やかである。画中を流れる玉川の流水はメリハリのある筆線で描かれており、動感に富む表現が用いられている。本作の基となる探幽作品に倣い、人物の顔貌は探幽風の特徴が丁寧に表されている。
探幽本は江戸狩野派の規範となった作品で、本作左隻の《大堰川図》の図様は、狩野常信「大堰川図」(狩野安信・常信・探信・益信・探雪《名画集》(当館蔵)のうち)、狩野探信守政「大堰川図」(《絵鑑》(松岡美術館)のうち)、狩野探信守政「大堰川図」(狩野探信・探雪《手鑑》(永青文庫)のうち)などの先行作例が知られている。探信守政の描いた二つの《大堰川図》は、彩色や金砂子による装飾的な表現が本作に近い点が注目される。
探幽本の図様を用いた屏風作品としては、父である山本素軒が探幽に学んだ、山本宗川による《筏士よ・狩くらし図屏風》(個人蔵)が知られている。《筏士よ・狩くらし図屏風》は探幽本の図様をアレンジしたもので、探幽本は江戸狩野派とその系統の画家の間において有名な作品であったと思われる。
本作の図様を右隻に描いた作例としては、狩野探信守政《井手玉川・佐野渡図》(当館蔵)がある。探信守政は探幽本の遠景を省略し、金砂子を撒き、華やかで洒脱な表現を用いて描いている。
探幽本を基に描いた、探信守道と近い時代の作例としては、狩野栄信《伊勢物語(東下り・住吉浜)図》(個人蔵)がある。栄信は、探幽本を基にしつつ、左隻の人物や筏の図様を反転させるなど、大胆な改変を行っているが、深い藍色の波の描写や華やかな金砂子など、本作と共通する特徴が指摘できる。本作や栄信本にみられる濃彩化や、華やかで装飾的な特徴は、すでに探信守政の作例にその萌芽が認められ、探信守道は、探信守政以来の鍛冶橋狩野家の伝統を踏まえたうえで本作を描いたと考えられよう。
本作と他の探幽本の図様を用いた作例を比較すると、本作は、探幽本の図様にかなり忠実な点が注目される。たとえば、栄信が遠山に変更している右隻左端の遠景は、探幽本と同様に海景が描かれている。従来、本作は探幽本を装飾的にアレンジしているという見方がなされてきたが、栄信本との相違点を勘案すると、本作は探幽本の図様にほとんど手を加えずに描かれている点にこそ、重要な意味があると思われる。
本作は、探幽本の図様や特徴を、当時においては比較的忠実に継承したものと言え、そこに探信守政以来続く、鍛冶橋狩野家における装飾的な画風の特徴を加えているとみなされる。探信守道が、栄信ら木挽町狩野家とは異なる形で、探幽様式を継承、発展させたことをうかがわせる作品である。

※泉万里「歌の風景―山川宗川『筏士よ・狩くらし図屏風』の紹介をかねて」
  (『美術史の断面』清文堂出版 一九九五年)
 福士雄也 作品解説『狩野派の世界2009』(静岡県立美術館 二〇〇九年)
 野田麻美「ポスト探幽世代の画家たちについて― 
   狩野安信・常信・探信・益信・探雪《名画集》(個人蔵)の史的位置」
  (『静岡県立美術館研究紀要』三二号 二〇一六年)
 野田麻美 作品解説『幕末狩野派展』(静岡県立美術館 二〇一八年)

2019年『対立と融和―十九世紀の江戸画壇』リーフレット、p. 40を加筆修正

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