右隻全図
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帝鑑図・咸陽宮図屏風
作品名よみ | ていかんず・かんようきゅうずびょうぶ |
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作品名(欧文) | Admonitions to Emperors and Xianyang Palace |
作者 | 狩野宗眼重信 |
種別 | 日本画 |
受入番号 | 1280 |
枝番号 | 0 |
分類番号 | J-304 |
員数 | 6曲1双 |
形状 | 屏風装 |
寸法(cm) | 各155.8×362.6 |
材質 | 紙本金地着色 |
材質英文 | Color on gold-leafed papaer, a pair of six-fold screens |
制作年(西暦) | 17世紀初 |
制作年(和暦) | 桃山時代 |
記銘、年紀 | (右隻右下・左隻左下)「重信筆」 朱字方印『語』(天地逆捺) 朱字円形内鼎印『辞』 |
受入年度(西暦) | 2003 |
受入年度(和暦) | H15 |
受入方法 | 購入 |
キーワード | 狩野派 |
解説 | 帝繿図とは、唐尭以来宋代に至る中国歴代皇帝の治道のうち、善政の法とすべき事跡と悪の戒めとすべき事跡を図示したもの。大学士張居正らが編述し、明代後期の万歴元年(一五七三)に上梓した『帝鑑図説』をその図像の典拠とする。日本においては、慶長十一年(一六〇六)に豊臣秀頼が開版した所謂秀頼版『帝鑑図説』六冊が刊行されて以降広く知られるようになった。 本作右隻には、このうちの「坑儒焚書」「脯林酒池」「諌鼓謗木」、すなわち、秦始皇による書物の焼却、儒者の虐殺と、夏桀による贅の極みという二つの悪行、そして唐尭による善政があらわされている。 帝鑑図はその勧戒的題意が為政者に好まれたためか、狩野派を中心に数多くの作例が残るが、押絵貼形式によって各場面を独立させて描く初期のものとは異なり、各図様は金雲によって緩やかに分節されながら、全体としては有機的な連関を保つよう巧みに面面が構成されている。 左隻には、始皇帝暗殺未遂事件を中心に『史記』「刺客列伝」などをもとにした四つの場面が描かれる。すなわち、秦の人質となっていた燕国の皇太子丹の帰国、丹が差し向けた荊軻らによる咸陽宮への侵入、暗殺の失敗などがそれで、破錠のない画面構成と、ダイナミックな人物群の描写が見所である。 筆者は狩野宗眼重信。桃山の巨匠・狩野永徳の弟宗秀の弟子で、十六世紀末から十七世紀前半、桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍したと考えられている。詳しい伝記は明らかではないが、近年では京都周辺での活動のほか、岐阜・加納藩での活動も明らかになってきている。 四百年という時間の経過を感じさせない輝きを放つ作品であると同時に、狩野宗眼重信という絵師の代表作として、さらには桃山時代後期の狩野派様式を考える上でも極めて重要な作品である。 二・二六事件で暗殺された高橋是清の旧蔵品。 2009年『特集 狩野派の世界2009』、p. 25 |