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芙蓉峰図

作品名よみふようほうず
作品名(欧文)Mt. Fuji
作者岸駒
種別日本画
受入番号1204
枝番号0
分類番号J-291
員数1幅
形状掛幅装
寸法(cm)98.2×143.0
材質絹本墨画金泥引
材質英文Ink with gold paint on silk, hanging scroll
制作年(西暦)19世紀前半
制作年(和暦)江戸時代後期
記銘、年紀(左下)「越前介岸駒」 朱文方印『同功館』 白文・朱文連印『岸駒』『賁然』
受入年度(西暦)1999
受入年度(和暦)H11
受入方法購入
キーワード風景、富士山、京都
解説岸駒(一七四九/五六~一八三八)は加賀金沢の人。姓は佐伯、岸、名は駒、昌明、字は賁然、号は蘭斎、華陽、同巧館など。京都に出て画を学ぶが特定の師はなく、当時流行していた南蘋風の花鳥画などを吸収し、特に虎の絵を得意とした。有栖川宮家や宮廷に仕え、また加賀前田家の御用も勤めて、その門流は近代まで岸派として栄えた。
本作では、画面の大きさもさることながら、山頂付近のみを雲の上に大きく描く構図により、富士山の威容が強調される。山肌のごつごつとした質感がリアリティーを感じさせるが、山頂部分は伝統的に描かれてきた形式的な表現を踏襲しているのが面白い。そのせいか、表面的な立体感とは裏腹にやや厚みを欠く平板な富士山になってもいるのだが。
画面上部には、有栖川宮家八代の職仁親王(一八一二~八六)によって次のような和歌賛が書される。
  たなひく雲より
  うへに白雪のみゆるは
  ふしの高根なりけり
裾野を描かず、霞のようにたなびく雲の上から白雪を冠した富士山の頂が姿をあらわす、まさに画そのままの和歌ではある。しかし、当然ながらここには『万葉集』以来の、富士山を見る日本人の心が受け継がれている。また、控え目に施された金泥も、富士山の神々しさを演出している。画賛ともに、霊峰としての富士山を表現したものといってよいだろう。

2013年『世界遺産登録記念 富士山の絵画展』、p. 27

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