略歴・解説 | ミズーリ州、エクセルシア・スプリングスに生まれ、1946-47年にアメリカ合衆国陸軍に入隊し、大韓民国に駐留。除隊後、ヴァージニア・ウイリアム・アンド・メアリ・カレッジで学んだ後、ニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグで美術制作を学ぶ、つづいて、コロンビア大学で哲学の学位を取り、後に同大学で美術史の学位を取得する。
50年代は抽象表現主義に影響を受けた絵画作品を制作し57年にニューヨークで初めての個展を開く。60年代にはいると幾何学的な要素が強くなり、金属の物体を画面にはめ込むレリーフ状の作品を、さらに62年頃から床に直接置く立体作品を制作するようになる。63-64年の個展ではカドミウム・レッドに塗られた木を基本にした箱状の立体作品が直接床に置かれた。64年から金属やプレキシグラスが用いられるようになり、形態はさらに純化され直線的な箱型の作品を繰り返し制作する。65年から制作されるようになった「積み重ね(スタック)」の作品は、壁に直接同型の薄い箱状の立体が縦一列に並べられるものである。71年には戸外に置かれる円形の作品を制作し、72年頃からは素材に合板を、80年代には特殊な錆付けをしたコールテン鋼を用いるようになる。
ジャッドは厳しく統制された形態及び色彩感覚によって、きわめて厳密な幾何学的形態の実現に向かう。このような形式は最小単位の芸術という意味で「ミニマル・アート」と呼ばれ、ここには同じ傾向を示し、60年代後半にグルーブとして展覧会を開催していたことから、カール・アンドレ、ロバート・モリスなどの作家が含まれる。ジャッドはこの名称を否定していたが、「ミニマル・アート」の中心的存在として位置付けられることになる。
美術批評家としてのジャッドは、59年から65年にかけて『アート・ニューズ』『アート・インターナショナル』『アーツマガジン』各誌で論評を行い、65年には『明確な物体(スペシフィック・オブジェクト)』を発表、同時代の美術について独自の視点から論を展開している。
1996年『静岡県立美術館コレクション選』、p. 192 |