宇津の山図屏風

作品名よみうつのやまずびょうぶ
作品名(欧文)Pass through Mt. Utsu
作者山本探川
種別日本画
受入番号967
枝番号0
分類番号J-249
員数2曲1隻
形状屏風装
寸法(cm)163.5×175.0
材質紙本着色
材質英文Color on paper, two-fold screen
制作年(西暦)1755 - 1769
制作年(和暦)宝暦5 - 明和6
記銘、年紀(右下)「法橋探川画」 白文方印『守業』
受入年度(西暦)1992
受入年度(和暦)H4
受入方法購入
キーワード静岡、狩野派、風景
解説平安時代を代表する歌物語『伊勢物語』第九段の「東下り」に登場する、駿河の国にある峠で、東海道屈指の隘路(あいろ)である宇津の山を描いた作品。物語は次のとおり。--主人公の都の貴族(在原業平と目される)が旅の途中、従者たちと駿河の国の宇津の山まで来たものの、そこからの山道は暗く険しい上に、蔦や楓が茂って心細い限りだった。しかしそこで以前都で見知っていた修行者と出会い、「駿河なる宇津の山辺のうつつにも夢にも人に逢はぬなりけり」と言う和歌を、都にのこしてきた恋人に届けてくれるように託して別れた。 この物語は多くの絵画作品の主題となるが、中世までの作品においては、宇津の山の難路そのものが画面の主軸となっていたものの、伊年印≪蔦の細道図≫(萬野記念文化財団)や深江芦舟筆≪蔦の細道図≫(東京国立博物館)などに代表されるように、近世以降は、琳派の絵師たちによって、「蔦」を主要モティーフとした、鮮やかな秋の景として描かれるようになった。
その意味で、本図においても、「蔦」は物語の舞台をしめす重要な存在となっているが、本図の特徴は何よりも、人物の描写を排し、かつひときわ高い視点から、幾重にも連なる険しい宇津の山が緑青で大きく描かれ、更に画面の最上段に、群青で海が配されることによって、重層的でかつ象徴的な画面が構成されている点にある。 また、山肌に生える枝をはり幹をくねらす松樹の描写は、狩野派の伝統的な様式にならうもであるが、画面構成におけるデザイン性や明快な色彩感覚には、明らかに琳派からの影響が認められる。 こうした点に、絵師探川の具体的な手法をもとめるとともに、山本家三代の素軒が光琳に狩野派の画技を教授したことをふまえるならば、「名所絵」の伝統をひく本図は、江戸時代中期の京都における、各画派の交流をしめす好例と言うことができるだろう。

(当館旧ウェブサイト 作品解説より)

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