ミルトン作『失楽園』 : 地獄に堕ちる反逆天使たち

作品名(欧文)Milton's Paradise Lost : The Fall of the Rebel Angels / Milton's Paradise Lost : The Fall of the Rebel Angels
作者ジョン・マーティン
種別版画
受入番号940
枝番号1
分類番号P-128
形状マット装
寸法(cm)25.8×20.2
材質紙、メゾチント、エッチング
材質英文Mezzotint, etching on paper
制作年(西暦)1825
記銘、年紀(中央下)Designed and Engraved by J. Martin Esqr. / BOOK 1, LINE 44. / London Published by Septimus Prowett, 23 Old Bond Street, 1825.
受入年度(西暦)1991
受入年度(和暦)H3
受入方法購入
キーワード西洋
解説イギリス文学最高峰の一つとされる『失楽園』は、1667年、ジョン・ミルトン(MILTON, John. 1608-1674)の作品である。18世紀半ば以降、挿絵入りで出版されたこの物語は数多く見られる。リチャード・コルブー(CORBOULD, Richard. 1757-1831)、エドワード・フランシス・バーニ- (BURNEY, Edward Francis. 1760-1848)、ヘンリー・フュースリ(FUSELI, Henry. 1741-1825)、ウィリアム・ハミルトン(HAMILTON, William.1751-1801)、リチャード・ウェストール(WESTALL, Richard. 1765-1836)もまた、『失楽園』の挿絵を手がけている。聖書の『創世記』1~3章に題材を採っており、以下の如き全12巻からなる。

第1巻:サタンとその一党が神に破れ、地獄に落ちる。サタンは地獄の底で悪魔の軍勢を呼び起こし、再起を試みる。
第2巻:議論の結果、新たに作られたという別な世界(地球のこと)に赴き、そこに住むことが出来るか、その住人である人間を誘惑して自分たちの側に引き込めるかどうか、探索してみることとなる。その役目を他ならぬサタンが引き受ける。
第3巻:天の王座で神は、サタンが人間の誘惑に成功するであろうことを予言する。そして人間の堕落はサタンの悪意による故、人間の罪を贖(あがな)う者があれば、人間にも恩寵(おんちょう)は与えられると宣言する。神の右手に座る神の御子は、自分が犠牲になることを自発的に述べる。サタンは太陽の上で天使ウリエルをだまし、人間の住む場所をまんまと聞き出す。
第4巻:サタンはエデンの園で、アダムとイヴに近づき、知恵の樹の実を食べることが禁じられていること、この禁を破れば人間が死ぬことを知る。夜、楽園の警護に当たっていた天使ガブリエルは、夢を通してイヴを誘惑しようとしていたサタンを見つける。サタンは抵抗しようとするが、結局逃げ出す。
第5巻:朝になり、アダムとイヴの許へ、神から遣わされた天使ラファエルがやってくる。アダムとイヴのもてなしの後、ラファエルは二人に、敵が狙っていること、敵の誘惑に乗らぬよう注意すべきこと、そしてその敵が何者であるかについて、サタンの天国での反乱の模様を含め、物語る。
第6巻:天使ラファエルは語り続ける。凄まじい天の戦いの有様と、神に力を授かった神の御子が反逆天使たちを地獄の底へと落としたことなどが語られる。
第7巻:アダムの求めに応じて天使ラファエルは、サタンの追放後、世界がどのようにして創造されたかを語る。
第8巻:アダムは天使ラファエルを引留めようと話をする。やがて、ラファエルは忠告を新たにしてから、立ち去る。
第9巻:蛇に身をやつしたサタンは、イヅに禁断の知恵の実を食べさせることについに成功する。イヴの堕落を知ったアダムは愕然とするが、イヴ共々滅びることを決心し、自らも禁断の実を口にする。その結果、罪の意識にかられた二人は仲違いを始める。
第10巻:アダムとイヴが罪を犯したことを知った神は、御子を遣わし、彼らに宣告を下す。サタンは自分の成功を報告しに地獄に帰るが、仲間諸共蛇の姿に変えられる。
第11巻:神はアダみとイヴを追放するために、天使の一隊と天使ミカエルとを遣わす。ミカエルはアダムとイヴに、楽園から出て行くよう告げる。またアダムにはこの後から大洪水にいたるまでに起こる様々な事柄を、幻を通じて示す。
第12巻:天使ミカエルはアダムに、彼らの子孫がどのようにして罪を贖(あがな)うのかについて語る。ミカエルの話から慰めを得たアダムは、イヴと共に楽園を去る。

※以下、Paradise Lostの底本には1913 BEECHING. H. C. fed.) The complete potical  Worksof John Milton, London. Humphrey Milford.を使用。訳文は1981.ミルトン作、平井正穂訳、『失楽園』、岩波書店。岩波文庫 赤二○六-二、三。

メゾチント作者としてのジョン・マーティンの名を高からしめたこの作品は、出版業者のセプティマス・プロウェット(PROWETT, Septimus.)からの依頼を受けて、制作されたものである。24点の図版は毎月2点ずつ、48ページの本文を添えて、12ヶ月に分けて刊行された。分冊の形を取ったこの方式は当時しばしば行われたもので、小さな出版社にとっては面倒であったろうが、前の号で出た収入を当てに出来る分、経済的な余裕が出来た。
依頼を受けたのは1823年初旬以降とも言われるが¹ 、はっきりしない。この頃のマーティンには、版画家としての実績はほとんど無かった。最初期のメゾチントとして、1824年の《誘惑されるキリスト》、同年の《エリヤの昇天》などが知られているだけなのである。すでに油彩画家としてのマーティンの名前は決定的なものになってはいたが、プロウェットの依頼は、大胆なものであったろう。しかも最初の号が出る1825年3月20日以前に、同じ図柄の小型版を依頼してさえいる。
さらに大胆なのは、その出版形態である。プロウェットは毎月出版される各号に4種類を設けているのである²。
1: 大型の版画を使ったフォリオ版。50部限定。24ギニー。
2: 大型の版画を使った、フォリオ版よりは小型のクォート版。10ポンド。
3: 小型の版画を使ったクォート版。12ギニー。
4: 小型の版画を使った、クォートよりさらに小型のオクタヴォ版。6ギニー。
このように、4種もの版を同時刊行する書籍は、多様な層を顧客として見込めるものの、リスキーな企てであることは変わりが無い。加えて、大型、小型両方の版画のセットも、バラ売りも行われた。
結果としてこの連作は、大好評を博した。第一部の刊行を受けたある雑誌の記事³ にいわく、「その才能が、偉大なミルトンを絵画化するのにこれほど相応しい作者はいない。荒々しく、雄大で、神秘的なデザインで、言葉には尽くせぬ程である…人体は力や威厳を身にまとってはいないが、何かが吹き渡るような要素や混沌が繰り返し描かれ、大地が出来るまでの天国と地獄の驚異が壮大に具現化されている…」
技法上の特徴として、本作品が鋼板のメゾチントで作成されていることが挙げられる。メゾチントはまず、平らな版面にロッカーと呼ばれる道具で、画面の全面に細かい点を刻んでおく。この作業を目立てというが、もしここにインクを詰めて刷ると、画面は真っ黒になる。この細かい点を鋭利な道具で少しずつ削ることで、白い部分を黒の地から浮き出させていく版画技法が、メゾチントなのである。硬い鋼板を用いれば、金属凹版に通常用いられる柔らかな銅板よりも、多くの刷りに耐える版を作成することが出来るのである。その分、扱いは困難になる。
本作品の場合、硬い鋼板の上に打たれた目立ては比較的浅く、これを削って出来上がった版は、刷るのが非常に難しかったと思われる。材質の硬さ故に印刷の枚数を増やすことは出来たであろうが、版の目にインクを詰め、余分なインクを画面からふき取る工程で、かすかなタッチで表現された部分までも容易に消えてしまったであろう。
画面にはしばしばエッチングも加えてあるのだが、これは作画上の理由のみならず、刷りの過程で消えてしまいがちなモティーフを、しっかりと描き出すためにも加えられたことであろう。

¹ 例えば1947 BALSTONは1823年初句以降。WEES 1986は1822年には作品の一部が刷られていたとしており、依頼があったのは当然これ以前ということになる。
² Literary Gazette, 20th Jan. 1827. p. 47に掲載された広告による。
³ Literary Gazette. 2nd April. 1825. p. 220.

冒頭、サタンたちが地獄へと落とされる場面。ミルトンの原作では「九日の間、彼らは堕ち続けた」という設定である。マーティンは地下の大空間を想定し、地割れから差し込む光と、落下してくる数限りない人物像を描き出している。盾と槍を持つ中央やや上の人物がサタンであろう。

2005年『誘惑の光景―19世紀のロマン主義版画・ドラクロワ、ジョン・マーティンなど―』、p. 18~20

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