婦人の頭部
作品名(欧文) | Head of a Woman / Tête de Femme |
---|---|
作者 | コンスタンティン・ブランクーシ |
種別 | デッサン |
受入番号 | 917 |
枝番号 | 0 |
分類番号 | D-080 |
員数 | 1 |
形状 | 額装 |
寸法(cm) | 47.0×37.0 |
材質 | 厚紙、鉛筆 |
材質英文 | Pencil on cardboard |
制作年(西暦) | 1922頃 |
記銘、年紀 | (右下)C.Brancusi |
受入年度(西暦) | 1990 |
受入年度(和暦) | H2 |
受入方法 | 購入 |
キーワード | 西洋 |
静岡県立美術館 デジタルアーカイブ
作品名(欧文) | Head of a Woman / Tête de Femme |
---|---|
作者 | コンスタンティン・ブランクーシ |
種別 | デッサン |
受入番号 | 917 |
枝番号 | 0 |
分類番号 | D-080 |
員数 | 1 |
形状 | 額装 |
寸法(cm) | 47.0×37.0 |
材質 | 厚紙、鉛筆 |
材質英文 | Pencil on cardboard |
制作年(西暦) | 1922頃 |
記銘、年紀 | (右下)C.Brancusi |
受入年度(西暦) | 1990 |
受入年度(和暦) | H2 |
受入方法 | 購入 |
キーワード | 西洋 |
作者名欧文 | Constantin BRANCUSI |
---|---|
生没年 | 1876 - 1957 |
略歴・解説 | ルーマニアのオルテニア地方に生まれる。少年時代には家出を繰り返し、大きな町で働いて暮らそうとしていた。クラヨーヴァのレストランで働いていた1894年に、回りの人々の勧めでドルジュ県立美術工芸学校に入り、機械、指物、金属鋳造、金属細工、旋盤、木彫などを学ぶ。ブダペスト、ウィーン、ミュンヘンを経て1904年7月よりパリに住み、エコール・デ・ボザールで彫刻を学ぶ。1907年、知人であるマリア・ベンゲスク、オチリア・コスムツァによりロダンを紹介され、そのアトリエで短期間仕事をするがすぐにやめる。1952年に彼は次の言葉を残している「19世紀になると彫刻は救い難い状態となった。ロダンがあらわれ、すべてを変えたのである。彼のおかげで、彫刻はその尺度においても内容においても再び人間のものとなった。かつても、また今でも、ロダンの影響は測り知れない。」パリで没。遺言により、パリのポンピドゥー・センターの敷地内にブランクーシのアトリエが再現されている。代表作はルーマニアのトゥルグ・ジュ、ブカレスト、クラヨーヴァ、アメリカ合衆国などにある。 1994年『ロダン館』、p. 181 |