略歴・解説 | 17世紀イタリアの風景画家、歴史画家。ナポリ郊外のアレネッラに生まれる。戦闘図で知られた画家A.ファルコーネのもとで絵画を学ぶ。1635年にはローマに移って風俗画を描く。1640年ジャン・カルロ・デ・メディチ枢機卿に招かれたらしく、フィレンツェに行き、1649年まで滞在する。そこで以後つれそうことになるルクレツィアと知り合い、四人の子をもうける。アッカデミア・デイ・ペルコッシと称する私設アカデミーを開いたのもこの頃で、知識人グループと親交を結び、画家として活動する一方で、『戦争』『魔女』などの諷刺詩をのこす。ローマに戻ってからのローザは、風景画がよく売れたことからその名声は大いに高まり、トリニタ・デイ・モンティの私邸には、当時の文学者や美術愛好家が足繁く通ったという。しかし彼の本来の願望は、風景画家ではなく歴史画家として称賛されたいということだったが、その真の願望は十分に達成されなかった。枝のへし折れた枯れ木、険しい岩山、風に流されてゆく黒雲、盗賊風の兵士などで構成されたローザの荒々しい風景画は、18世紀のヨーロッパ、とりわけ英国で大きな人気を呼び、ローザ白身盗賊であったという伝説にも促され、ロマン主義の時代には英雄的人物にまつりあげられた。ローマで没。
1996年『静岡県立美術館コレクション選』、p. 170 |