略歴・解説 | 17世紀後半から18世紀前半に活躍した鍛冶橋家の画家。
狩野探幽の長男として生まれる。幼名は千千代、のち守政。図書、探信と称し、忠淵と号す。
幼時より探幽の寵愛を受け、万治元(1658)年、6歳で徳川家綱に御目見、翌年には江戸城本丸障壁画制作に参加。
延宝2(1674)年に没した探幽の跡を継ぎ、翌年、探幽の願い通り、百石と二十人扶持を拝領し、2代目当主となる。
寛文度(1662年)、延宝度(1674~75年)、宝永度(1708年)の内裏造営では、それぞれ探幽、狩野安信、狩野常信ら中心画家を支えた。
天和2(1682)年度、正徳元(1711)年度の贈朝屏風を制作。
最晩年の正徳5(1715)年、法眼に叙された。
現存作品は当時の江戸狩野派のなかでは比較的多く、優品が多い常信・安信・探雪らとの合作を抜かして百点弱の作品が確認される。
大画面、小画面によって、或いは制作年代によって画風の変化が認められるが、概して探幽様式を要約し、筆線や彩色を強調した作例が多い。
人物画、花鳥画に優品が多く、代表的な作例としては、《俊成卿九十賀絵巻》(仁和寺)、《牧馬図屏風》(永青文庫)、《猿百鶴図》(栃木県立博物館)、《竹図屏風》(松井文庫)、《李白観瀑・白梅に鳩・海棠に尾長鳥図》(ボストン美術館)、《絵鑑》(松岡美術館)などがある。
※田能村忠雄「賀の屏風考―近世に於ける賀算屏風の様式と製作過程」(『美術史』第40号 1961年)
榊原悟「探幽の親バカ―狩野派組織の一面」(『古美術』75号 1985年)
河野元昭「探元と江戸狩野」(『木村探元展』鹿児島市立美術館 1987年)
山下善也「狩野探幽はじめ江戸狩野三十六名合作の《牛馬図》双幅」(『静岡県立美術館研究紀要』17号 2001年)
薄田大輔「江戸前期狩野派の歌繪について―狩野探信守政筆『井手玉川圖屏風』を中心に」(『国華』1395号 2012年)
五十嵐公一「桑名・伊藤家資料から分かる絵師たちの諸事情」(『塵界』24号 2013年)
門脇むつみ「第二章 次世代の画家たち」(『巨匠狩野探幽の誕生』朝日新聞出版 2014年)
榊原悟「『隔蓂記』の見た探幽」(『狩野探幽』臨川書店 2014年)
2021年『忘れられた江戸絵画史の本流―江戸狩野派の250年/江戸狩野派の古典学習―その基盤と広がり』、p. 137
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