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ゲーテ作『ファウスト』 : ゲーテの肖像
作品名(欧文) | Faust, Tragedy by Goethe : Portrait of Goethe / Faust, Tragedie de M. de Goethe : Portrait de Goethe |
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作者 | ウジェーヌ・ドラクロワ |
種別 | 版画 |
受入番号 | 740 |
枝番号 | 1 |
分類番号 | P-080 |
員数 | 1 |
形状 | 本 |
寸法(cm) | 31.5×24.2 |
材質 | 紙、リトグラフ |
材質英文 | Lithograph on paper |
制作年(西暦) | 1828 |
記銘、年紀 | (左下)Delacroix Lithog.(右下)Lith: de C. Motte. |
受入年度(西暦) | 1985 |
受入年度(和暦) | S60 |
受入方法 | 購入 |
キーワード | 西洋 |
解説 | 『ファウスト』の挿絵は、ドラクロワによる初めての本格的なリトググラフ連作である。アルベール・スタップフェールによるテクスト第一部のフランス語訳に、「ゲーテの肖像」と17点の挿絵をつけたこの書籍は、1828年にパリで出版された。当時、すでに伝説化したゲーテは、シェイクスピアやミルトンとともにロマン主義者の霊感源だった。ドラクロワは1823年に出版されたサン・トレールの散文による初めフランス語訳で、この戯曲を知っていたという(1)。 『ファウスト』の挿絵を制作するにあたり、2人のドイツ画家の先行作品が参考になったことを、ドラクロワ自身が日記および手紙の中で述べている。それは、フリードリヒ・アウグスト・モーリッツ・レッチュ(RETZSCH, Friedrich August Moritz. 1779-1857)とペーター・フォン・コルネリウス(CORNELIUS, Peter von. 1783-1867)が描いたそれぞれの『ファウスト』版画だった(2)。 しかし、何といっても作家を本作に関する制作へと駆り立てたのは、1825年のロンドン滞在中に鑑賞したオペラだった。「私はここで、考えられる限り最も悪魔的な『ファウスト』劇を見た。メフィストフェレスは個性と知性の傑物だ」と、友人のピエレに宛てた手紙の中で、ドラクロワはその興奮を伝えている(3)。ドラクロワが熱中した公演は、王立ドルーリー・レイン劇場で演じられた、ジョージ・ソーンとダニエル・テリーによるロマン主義劇「フォースタス博士」と考えられている(4)。イギリスの大衆の趣味に合うように、ゲーテの戯曲を「一種のパントマイム・マジック」へと改作したソーンの脚色は、「明らかなコメディーと不吉な効果が混ざったオペラ」であり、中でもメフィストフェレスを演じた俳優テリーは、「申し分のないメフィストフェレス」という強烈な印象をドラクロワに残したのだった(5)。 プロフィールによる描写、突飛で誇張した身振りは、この連作全体に見られる特質である。イギリスのロマン主義演劇から影響を受けたと思われるこの特質は、一方で当時の「美術の伝統的基準に鋭い異議申し立てを行う」制作態度だった(6)。ドラクロワの『ファウスト』挿絵は酷評され、経済的成功も収められなかった。しかし、この作品を目にした原作者のゲーテは、ドラクロワの特質である「荒々しさ」を『ファウスト』には最適の偉大な才能と評価すると同時に、その「想像力」を次のように賞賛した。「私は、ドラクロ ワ氏が、私自身の作り出した場面において、私自身の表象を凌駕していることを白状せざるをえないね。従って読者はなおのこと、すべてが生き生きと、自分たちの想像を越えていることに気がつくだろう」(7)。 当初12点に計画された挿絵は、出版者モッテの希望により18点にまで追加され、結局刊行は2年以上延期された。また、テクストと挿絵を一緒にする形式は、売り上げを妨げるという理由でドラクロワは反対だったと、後年告白している(8)。 本作でドラクロワが採用したリトグラフの技法は、「『ファウスト』の豊穣な夜の場面に合うベルベットのような黒のテクスチャー」を生み出し、「フランスにおける画家-リトグラファーの伝統の開始」と「ロマン主義挿絵の本格的な幕開け」を宣言する結果になったのだった(9)。 なお、表紙は表・裏ともに、ドラクロワの友人であり、出版者モッテの娘婿であるアシル・ドヴェリア(DEVÉRIA, Achille. 1800-1857)が制作した。挿絵画家として知られるドヴェリアは、1827年から翌年にかけてパリを訪れたイギリスのチャールズ・ケンブル劇団による公演や俳優の肖像画を収めた『パリのイギリス劇団の思い出』を、ルイ・ブーランジェ(BOULANGER, Louis. 1806-1867)とともに制作・刊行していた。 『ファウスト』第一部の挿絵本が刊行されてから30年後、第二部の挿絵制作について問われたドラクロワは、次のように否定的に答えた。「私は第二部に精通していないし、しかも私の図版が制作されたずっと後になってそれを知ったのだ。私はそれを消化していないし、文学的観点からも面白くない。けれども、個性とスタイルの結合によって画家を刺激するのに最も適切な作品の一つではあると思う。もしその作品にもっと人気があったら、私は引き受けたかもしれない」(10)。 (1) 1997. DELTEIL, Lois., STRAUBER, Susan, (trans, and revised.) Delacroix:the graphic work, a catalogue raisonné, Alan Wofsy, San Francisco. 1975. DOY, Guinevere. <Delacroix et Faust Nouvelles de l'estampe, no. 21, mais-juin. また、ロックナン(註4参照)は次のテクストを参考文献として挙げている。1904. L. MACKALL, Leonard. か〈Soan's Faust Translation〉. Sonderabdruckaus dem Archiv für das Stadium der neveren Sprachen, Braunschweig, pp. 277 - 279. (2) 1824年2月20日の日記および1862年3月1日のフィリップ・ビュルティ宛ての手紙参照。1950. JOUBIN, André. Journal de Eugène Delacroix, t. 1, 1822-1852, Plon, Paris. p. 52. 1938. JOUBIN, André. Correspondance Générale d’ Eugène Delacroix, t.5, Plon, Paris, pp. 303 - 304. (3) 1825年6月18日。1935. JOUBIN, André. Correspondance générale d' Eugène Delacroix. t.1, Plon, Paris, p. 160. (4) 1986. LOCKNAN. Katharine A. 〈Les lithographies de Delacroix pour "Faust" et le théâtre anglais des années 1820〉, Nouvelles de l’estampe, no. 87, juillet. (5) 註2の1862年3月1日のフィリップ・ビュルティ宛ての手紙、ならびに註3参照。 (6) 1982. RAY. Gordon N. The Art of the French Illustrated Book 1700 to 1914, v.1, The Pierpont Morgan Library, N. Y. pp. 208 - 210. (7) 2001.ヨーハン・ペーター・エッカーマン著、山下肇訳『ゲーテとの対話』(上)、岩波書店、236頁。 (8) 註2、ビュルティ宛ての手紙参照。 (9) 1981. MITCHELL, Breon, (ed.) The Complete Illustrations from Delacroix’s Faust and Manet's The Raves, Dover, N. Y. (10) 註2、ビュルティ宛ての手紙参照。 原作者ゲーテの肖像画を追加制作するように依頼されたドラクロワは、1827年10月、出版者のモッテに宛てて、気乗りしないことを打ち明けている。「ゲーテの肖像画を制作するのは極めて気詰まりだ。ある程度の完成度を要求するリトグラフによる肖像画を制作する能力がないことを、私は再認識しなければならない」(11)。 12月にはこの挿絵はまだ仕上げられていなかったことは、同じくモッテ宛ての書簡より明らかである。 翻訳者によるテクストの「はじめに」の末尾には、本図は、ゲーテがこの目的のために出版者に送った、1827年初頭のワイマールで行われたスケッチから、ドラクロワが制作したことが述べられている。 (11) 1935 JOUBIN, André. Correspondance générale d’Eugène Delacroix, t. 1, Plon, Paris. pp. 200 – 201. 2005年『誘惑の光景―19世紀のロマン主義版画・ドラクロワ、ジョン・マーティンなど―』、p. 106 - 107 |