右隻

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曽我物語 富士巻狩・仇討図屏風

作品名よみそがものがたり ふじのまきがり・あだうちずびょうぶ
作品名(欧文)Tale of Soga Brothers
作者作者不詳
種別日本画
受入番号690
枝番号0
分類番号J-126
員数6曲1双
形状屏風装
寸法(cm)各156.8×356.6
材質紙本金地着色
材質英文Color on gold-leafed paper, a pair of six-fold screens
制作年(西暦)17世紀半ば頃
制作年(和暦)江戸時代初期
受入年度(西暦)1983
受入年度(和暦)S58
受入方法購入
キーワード風景、富士山
解説建久4年(1193)5月28日に富士山麓で巻狩が行われ、その最中に、曽我十郎(1172~93)、五郎(1174~93)兄弟は父の仇である工藤祐経を討とうとして果たせず、同日深夜、仇敵の寝所を急襲して宿念を遂げる。
この史実は、物語となって語り伝えられ、各種芸能の題材ともなった。それだけでなく、遅くとも15世紀には、この物語の名場面はさまざまな形に再現されるようになっていた。
その一例が、室町時代の貞成(さだふさ)親王(1372~1456)の日記『看聞日記』永享7年(1435)7月14日条に記録されている風流灯籠(ふりゅうとうろう)である。「風流」とは機知にとんだ飾りのことであり、そうした飾り付きの灯籠を「風流灯籠」と呼んでいた。当時、盂蘭盆(うらぼん)にそのような灯籠を贈答する風習があり、この日、貞成親王が作らせて宮中に届けた風流灯籠の主題は「富士巻狩」であった。灯火を仕込む箱の上に、張子の富士をのせ、ミニチュアの馬や人形を置いて巻狩の光景を再現したものだろう。
また、15世紀後半には、絵解きと呼ばれる芸能者が「富士巻狩」の一節を、絵を指し示しながら語っていたり、五山の禅僧が「富士巻狩図」に画賛を寄せたりしており、絵画化も進んでいたようだ。そして、16世紀には屏風絵の画題として定着する。
この屏風は、樹木や岩の癖のある表現から、17世紀半ば過ぎの作例と考えられるが、右隻の富士山麓での巻狩の情景は、15世紀の灯籠の上の小さなジオラマが作り出していた光景とさほど変わっていないだろう。巻狩をみまもる頼朝(第2扇)、猪に跨って仕留める新田四郎(第4扇)、そして馬が躓いて仇討に失敗する兄弟(第6扇)など名場面が描きこまれる。
左隻には深夜の乱闘シーンが展開する。十郎は紺に千鳥を染め抜いた衣を、五郎は褐色の地に蝶を散らした衣を着ているので、それを手掛かりに、物語の展開を追うことができる。2人で仇を討ち(第6扇)、その後十郎が斬られ(第4扇)、五郎も捕縛される(第6扇)という主要場面を探すのはさほど難しくないだろう。

2015年『富士山―信仰と芸術―』、p. 186

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