略歴・解説 | アラゴン地方フエンテ・デ・トドスという一寒村の金工の家に生まれる。画家としての修行時代はサラゴサの学校に始まり、マドリードさらにイタリアにおいて技術を習得し、徐々に教会の室内装飾などの注文を受けるようになった。1774年にはサラゴサ時代からの友人で、画家のフランシスコ・バイエウを通じ、当時宮廷画家として権威をもっていたラファエル・メングスに認められ、王立タピスリーエ場のための下絵作家として活躍する。貴族社会に認められるようになったゴヤは、カルロス四世の即位とともに宮廷画家に任ぜられ、その後アカデミー絵画部長や首席宮廷画家の地位を得、国王をはじめ貴族の肖像を数多く描くことになった。
華やかな宮廷画家としての注文制作とは別に、ゴヤは戦禍や悪魔など当時の社会や人間の暗部を鋭く捉え、描写する独特の表現力を見せる。特に1793年に大病が原因で聴力を失って以来、一層内省的になり、ナポレオンによるスペイン占領などの不安定な社会状況の中で、この傾向は次第に強まっていった。芸術が自己の内面の表出であることを示しかこれらの作品は、ある意味で近代芸術の幕開けを告げるものと考えられている。
1991年『MUSEUM SELECTION 静岡県立美術館コレクション選110選』、p. 163~164 |