京都当節之形勢

資料ID1
資料名(ヨミ)キョウトトウセツノケイセイ
員数1
製作年代文久3年8月頃
資料説明近藤勇が多摩の門人に宛てた書状の写。反幕勢力によって京都の治安が乱れていること、幕府が攘夷を実行しないため、攘夷実行派の中川宮の配下になることを検討していることなどが記されている。浪士組としてどのように行動していくのかについて方針が揺れている状況をうかがわせるが、攘夷実行に向けてどのよう行動すべきか検討していたことがわかる。
資料解説【翻 刻】
     京都当節之形勢
抑七月廿六日、三条大橋西詰ニ御用
場制札相懸り候設場有之、其所え
首ヲ相掛、罪之次第は如左ニ記シ
有之、粗写取申所、如此
         大藤幽叟
右は、奸吏板倉周防・水野和泉
等え相与シ、其許状ヲ受、砲台築
達ヲ名トシ、富商ニ立入、大金ヲ貪リ候
罪、天地不可許之、依之、可加天誅者也
  亥七月

右之通認、首之上ニ板ニ書記シ、ツリ下ケ
御座候事、見物之人数袖を連ね、甚
以騒々敷事而已ニ御座候、其余日々一ツ
二ツ之梟首も御座候て書記ニ不遑、将
又頃日松平春嶽様御上京も有之候
由之処、西本願寺御旅宿ニ相成筈之処、
世風ニ甚要説御座候趣は、若春嶽
様御旅舘等可仕所置も有之処は、不残
放火仕候由書付抔諸方ニ張付候、依之
町家商人共抔は甚恐怖驚入、為
用意ト本願寺近辺之家々、不残家
財等を田舎向縁類え運出シ、甚以
不静謐之事而已ニ御座候、此上如何之
変事涌出候事哉難計、少之間も
油断難成事而已ニ御座候、此段御咄申上候、
右春嶽様世風甚以不宜候間、如何之事
哉と其子細種々外々ニおゐて探索
仕候処、全悪説之由ニ御座候、当節之
挙ニ乗し、国中之奸賊等之所業ニて
張紙抔いたし、町家商人向抔ヲ
騒し候事ニ御座候由、段々探索之上
相分り申事ニ御座候、全春嶽様
首尾之処虚説ニ御座候事故、此段
御咄申上候事、春嶽様ニは、江戸
表ニおゐて御慎之義ト承居候、左候ハヽ、
京師町家等本願寺抔御仮舘ニ
相成候筈も無之事、実定ニ御座候、
是等之処御判賢被下候事、
将又、攘夷之儀は、先七月中旬中川
宮様より禁中え御願出之趣は、先軍
卒ヲ招キ、自ラ先鉾之御覚悟御歎
願ニ御座候、是全払攘も因脩ニも相成
候事故、不得止処義ト恐察仕居候、乍
去雲客・宮方ニは、秀名之御方々
有之、英雄・豪傑采配之官将は、
中川宮ニ超過致ス者不可有之、
卑陋之銘々感服罷在候、全世風
流言シ、彼宮先鉾之御歎願ト伝聞
仕、無覚束存罷在候処、船印緋羅紗、
上リ方ニ菊之御紋付、海上安全ト認候
御誂物有之、且又禁中え御歎願
書等一覧仕候事、実説ニ有之、依之
弥御先鉾御許容之節は、卑匹之
銘々供奉シ申度候間、此宮様之風説
急度赤心ニ相基キ、願書差出供奉
之処願立候事も有之候、何れか否哉
御採用ニも相成候上は、東下仕候間、粗
書記御咄申上候事、外ニ種々之
細談も御座候得共、粗申上度候

右之通、京師之形勢悪説之事共、
御咄申上候、全以天下ニ姦賊之大挙
仕候事哉、囂然として不静甚、
可悪事ニ御座候

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