北岡文雄

ArtistKITAOKA Fumio
生年大正7
Birth1918
没年平成19
Died2007

略歴

東京に生まれる。母・信子は千家尊福の次女(弟は詩人の千家元麿)。1936年東京美術学校油画科予科に入学。本科時代は藤島武二教室に学び、1939年には臨時版画教室で平塚運一の指導を受けた。この年日本版画協会展に初出品し、恩地孝四郎を知る。1941年に春陽会展に出品。1942年平塚運一主宰のきつつき会に参加、会員として第1回展に出品。また造型版画協会第5回展に「坂上登」の名で木版画を出品した。1943年日本版画協会展で褒状を受賞して会員となった。1944年神奈川県藤野に疎開、長与善郎の知遇を得る。また、この年恩地孝四郎の主宰する一木会に参加。1945年1月満洲に渡り、当時新京にあった東アジア文化振興会(主任・旭正秀)に勤務し、ポスターの制作などにあたる。7月現地召集されたが戦地に赴くことなく終戦。その後安東に移り芦田伸介夫妻と知り合い行動を共にした。翌1946年東京美術学校で同期だった中国人の画家・田風に偶然会い庇護を受け、さらに中国木刻に触れて大きな刺激を受けた。苦難を乗り越えて帰国した後、その道のりでの体験をテーマに連作木版画『祖国への旅』(17点)を制作、中国木刻風の様式で表現した。1940年代終わりから1950年代前半は恩地孝四郎の感化のもと抽象的木版を制作したが、1955年のフランス留学を境に具象木版を制作、独自の写実的木版画世界を創出した。帰国した1956年から58年にかけて北海道に居住。1964年にはフルブライト交換教授として渡米。1971年にはモスクワで個展を開催。1980年には北京の中央美術学院で講演と木版画のデモンストレーションを行い、個展も開催した。1988年町田市立国際版画美術館で、1993年北海道立近代美術館で回顧展が開催された。

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