三浦紫畹

ArtistMIURA Shien
生年安永2年
Birth1773
没年安政3年
Died1856

略歴

津和野藩の御用絵師・三浦南溪の子。名を辰種、通称教、後に蘭畹などと号す。幼少より絵を好み、父が没すると津和野藩主矩賢から家業を継ぐよう命じられた。寛政3年(1791)江戸藩邸に勤仕した折、藩命により宋紫山の門に入り、南蘋派の花鳥画を学んだ。代々の津和野藩主に仕えて公的な御用を務め、文化3年(1806)には、幕府測量方による高津浦測量に際し、大島松溪と共に海岸地図調製に従事している。同4年(1807)、師紫山の遺言により「紫」の字を賜り、以後画号を紫畹と改めた。弘化2年(1845)、津和野町永明寺の客殿、庫裏等の改築に際して障壁画を描く。孔雀図の名手として名高く、現存遺品でも「牡丹に孔雀図」が多い。
読み方:南溪=なんけい/辰種=ときたね/教=おしえ/蘭畹=らんえん/矩賢=のりたか/宋紫山=そうしざん/南蘋=なんぴん/松溪=しょうけい

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