多胡逸斎

ArtistTAGO Issai
生年享和2年
Birth1802
没年安政4年
Died1857

略歴

下総国(現・茨城県)結城城主水野摂津守勝剛の三男で、通称丹波、逸斎などと号す。文政9年(1826)、25才で津和野藩家老多胡家の養子となる。家老職を主に九代茲尚・十代茲方の治世時で勤め、藩財政の再建や天保の飢饉への対処において、優れた政治手腕を発揮した。江戸藩邸での在勤中には、江戸の文人画家たちと広く交流を持ち、絵は片桐桐陰、桜間青厓、谷文晁に学び、椿椿山、高久靄厓、立原杏所らと交際し、特に渡辺崋山とは親密であった。逸斎が購入した清人画家兪宗礼の画帖を崋山に一時預け、共に研鑽した逸話が知られる。天保13年(1842)、十一代茲監との間で政策上の相違があり隠居。その後は津和野にて画事に専念した。
読み方:茲尚=これひさ/茲方=これかた/桜間青厓=さくらませいがい/椿椿山=つばきちんざん/高久靄厓=たかくあいがい/立原杏所=たちはらきょうしょ/茲監=これみ

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