橋本 関雪

作家名(ヨミ)ハシモト カンセツ
作家名(英語)HASHIMOTO Kansetsu
作家名(原表記)
生年月日(西暦)1883
生年月日(和暦)明治16年
没年月日(西暦)1945
没年月日(和暦)昭和20年

略歴・解説

【令和5年度第2回収集審査部会資料 作家解説文】
鈴木松年、渡辺省亭、菊池芳文、山元春挙、木島櫻谷、西山翠嶂、川村曼舟、橋本関雪、土田麦僊

《扇面貼交屏風》 1917(大正6)年 二曲一双 紙本著色 
扇面全10面:鈴木松年16.9×53.6㎝、渡辺省亭47.3×16.3㎝、菊池芳文53.7×16.4㎝、山元春挙(紙)54.6×17.2㎝、山元春挙(絹)53.2×17.2㎝、木島櫻谷56.0×17.8㎝、西山翠嶂54.2×17.2㎝、川村曼舟53.5×16.9㎝、橋本関雪54.4×17.3㎝、土田麦僊54.7×17.3㎝、屏風寸各170.4×90.7㎝
年記:「丁巳(ひのとみ)八月」(1917(大正6)年8月)
署名、印章:松年僊史筆・朱文円印「松年」(印譜未確認)、省亭・朱文円印「省亭」(印譜未確認)、芳文・朱文円印「芳文」(印譜未確認)、春挙・朱文方印「帝国技芸員山元春挙」(印譜未確認)・朱文方印「春挙」(印譜未確認)、桜谷・朱文方印(連印)「櫻谷」(印譜あり)、翠嶂畫・朱文円印「翠嶂」(印譜未確認)、曼舟・白文長印「○○」、丁巳八月関雪散史・白文方印「関雪」(印譜未確認)、丁巳夏日麦僊冩・朱文方印「麦仙」(印譜未確認)
来歴:寄贈予定者の祖父が勤めていた会社の主人から譲られたものが伝来 
出展歴:不明
箱:あり
作品・付属品状態:全体にヤケ、扇形の端に糊のウキ、剥落あり(いずれも若干)
《閑庭(かんてい)日長図(けながしず)》1905(明治38)年頃 1幅 絹本著色 143.1×71.5cm
年記:なし
署名:落款「関雪」 印章:白文方印「士郷?」、朱文方印「関雪」
来歴:不明 
出展歴:「橋本関雪展」姫路市立美術館、島根県立美術館、富山県水墨美術館 2009年
箱:金島桂華箱書「大正辛酉(かのとのとり)春三月于川本邸観了」(※1921年)、朱文方印「桂華」(※桂華は関雪と竹杖会の同門で、1917年に揚子江へ同行)(木箱二重箱)

《黄牛峡(こうぎゅうきょう)ノ図》1915(大正4)年頃 1幅 絹本著色 123.8×41.9cm
年記:なし
署名:落款「関雪散史」 印章:白文方印「関雪」、朱文方印「隠居放言」
来歴:不明 
出展歴:「橋本関雪展」姫路市立美術館、島根県立美術館、富山県水墨美術館 2009年
箱:共箱「関雪散人自題簽」、白文方印「澗雪散?人」(木箱二重箱)

橋本関雪(1887-1936) 岩に紅葉の図。竹内栖鳳門下として四条派の写実を身につけ、漢学の素養を生かした、中国風俗や古典を題材にした作品を描く。主に官展で活躍する。


《月下狸図》1936(昭和11)年頃 1幅 絹本著色 153.0×51.0cm
年記:なし
署名:落款「関雪」 印章:朱文長円印「関雪」
来歴:不明 
出展歴:「橋本関雪展」姫路市立美術館、島根県立美術館、富山県水墨美術館 2009年
箱:共箱「白沙村人自題簽」、白文方印「澗雪散?人」
【令和5年度第2回収集審査部会資料 作家解説文】
1883(明治16)年明石に生まれ、藩の儒学者であった父より漢学を学ぶ。1903(明治36)年竹内栖鳳の竹杖会に入り、1913(大正2)年より文展で連続受賞。四条派の写実を基礎としながら、清の文人画に強い影響を受け、「新南画」と呼ばれる作風を確立。また文学に長じて中国古典や風俗を題材にし、動物画を得意とした。帝展審査員を務め、1934(昭和9)年帝室技芸員に選ばれる。1939(昭和14)年陸軍美術協会に参加。戦後GHQによって他の画家による戦争画とともに作品が没収。関雪の画号の由来は、藤原兼家が関白になれるかどうかを夢占いした故事にちなむ。その舞台となった逢坂の関には、後に別邸「走井居(月心寺)」(大津市)を建て、その墓地に眠ることから、滋賀県ゆかりの画家といえる。

《閑庭日長図》
初期作である。ハイライトによる女性の顔の立体感や、水面に反射する明るい光線は、四条派の写実表現を学び始めて間もない時期の、学習成果として見ることができる。翡翠が飛んでゆく方向を、女性が目で追いかけることによって、画面に動きが生み出されている。中国風俗の女性は、髪に飾りをつけた華やかな姿で、美人画的要素の強い作品である。合歓木や川藻に花が咲く初夏の爽やかな雰囲気、魚籠に魚がかかるのを待つゆったりとした時間の流れは、心地よい鑑賞体験を見る者に与えてくれる。日長しは日数を経ることが久しいという意味があり、恋しい人を思う場面であろうか。

《黄牛峡ノ図》
1913(大正2)5月初めて中国へ旅行し、以降の文展出品には《南国》《峡江の六月》のような中国の風景を描いた作品が続く。本作も同時期の制作と考えられる。黄牛峡は長江のなかでも川幅が狭く浅瀬が多いため、激流で船が難破する危険な場所であった。上流へ上るため人力で船を曳く様子には生活者たちの活気が、また濁流と岩場が交差する構図はスケールの大きな中国風景に臨場感を与えている。達筆でもあった関雪の賛を読むと、実見した風景であることが知れる。(「○黄牛峡図掃粉城舟中所見略如此景」)

《月下狸図》
狸が獲物のコオロギを仕留めるべく、前足を伸ばそうとする緊張した瞬間が描かれる。空には大きな月が上がり、澄み渡った夜である。綿は9月から10月に果実をつけるが、薄黄色の花とコットンボール状の割れた果実が描かれる。背景描写は枯れ草のみで、墨色で表した地面の凹凸や影が余白を生かす。眼目は動物の体毛で、一歩ずつ近づいてゆくその足取りを、毛並みの動きで巧みに表している。徹底した細密描写とは異なるその毛触りや、全体に漂う静寂な雰囲気も見どころである。この時期は出品作を始め、多くの動物画を手がけ、その権威としても認められた。
(担当:田野葉月)

この作家の作品一覧[全1件]

件ずつ表示

PageTop