三田 康

作家名(ヨミ)サンタ ヤスシ
作家名(英語)SANTA Yasushi
生年月日(西暦)1900
生年月日(和暦)明治33年
没年月日(西暦)1968
没年月日(和暦)昭和43年

略歴・解説

《絵付皿》 1938(昭和13)年 1点 磁器 3.5×φ19.2cm
年記:「昭和十三年三月竜門訪問記念」 署名:「康(○の中に康)」
来歴:三田康の妹の文子氏が寄贈予定者の父方の祖母にあたり、祖母より譲られる 
【令和5年度第2回収集審査部会資料 作家解説文】
出展歴:不明 
箱:なし

1900(明治33)年滋賀県大津市生まれ。洋画家。1917(大正6)年立教中学校を卒業。同年に東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科入学、藤島武二に師事する。1925(大正14)年西洋画科研究科修了。在学中の1921(大正10)年「第3回帝展」にて《裸体》初入選。1927(昭和2)年「第8回帝展」にて《座像》特選。翌年「第9回帝展」にて《室内》特選。1930(昭和5)年「第11回帝展」にて《座像》特選。1935(昭和10)年「第二部会美術展覧会」にて《教会の人》特選、第二部会賞を受賞。婦人像を好んで描いた。1936(昭和11)年帝展改組の際に官展から離れ、小磯良平、猪熊弦一郎らと新制作派協会を創立。以後、「新制作派展(戦後・新制作展)」に発表。1942(昭和17)年より海軍報道班員として南太平洋方面に従軍し、記録画《レンネル沖海戦》を制作。翌1943(昭和18)年「第2回大東亜戦争美術展」に、1944(昭和19)年には「第8回海洋美術展」に出品。1949(昭和24)年日本美術家連盟の初代事務局長就任。戦後、新聞連載小説の挿絵画家として活躍し、毎日新聞「雑居家族」(壺井栄)、読売新聞「どっこいショ」(遠藤周作)を担当。1967(昭和42)年5月渡仏、翌年2月5日朝、南フランスのニース近郊のカーニュ・スル・メールのホテル・プノンの自室で死去しているのが発見された。検医師によれば、4日午後、心臓発作のために死亡したものと推定された。67歳。
三田康の妹の文子氏が寄贈予定者の父方の祖母にあたり、祖母より譲られる。皿裏の記載より、制作時期と動機が明らかである。三田康は戦後に挿絵画家として活躍しており、それを彷彿とさせるような、闊達な線描が用いられている。楽しげなモチーフによる絵付けであり、所蔵する8点の油彩とともに展示することで、作家を多角的に顕彰することができると考える。
(担当:田野葉月)

この作家の作品一覧[全3件]

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